地域生活を考えよーかい

尼かん・いたみんネット

「ぷりぱ」のこれから

ぷりぱ5周年に寄せた文書です。

作成日:2005年12月1日(木)
掲載日:2005年12月4日(日)
文責:NPO法人地域生活を考えよーかい
有限会社しぇあーど
代表李 国本 修慈


 1990年代後半頃、「しょうがい児・者」などといわれる方々と関わらせて頂きながら、「何かできないか?」というか、「なんかしなくちゃ」といった(ような)気持ちで、当時進んでいた社会福祉基礎構造改革の流れや、全国各地で拡がる(と言っても一部ですが)「地域生活支援(またはレスパイト)」という活動の影響も受け、「じゃあ、やっていこう!」ということで、当時、入所施設における通園事業に関わっていた大江尚子と、そんな気持ちに強く共感を持った宮本聖子と三人で準備を開始し、2000年9月に、阪神間の真ん中(大江曰く「ここからだと、尼崎の東端も、西宮の西端、更には伊丹・宝塚や川西にも10km程度の範囲」という意味で)の「守部(正確には南武庫之荘)」という地に「地域共生スペースぷりぱ」をオープンしたことが、とても遠い過去の様な、ついこないだのコトの様な、そんな気がします。

 今思うと、当時の、それこそ草の根的な活動(とにかく何の定めもなく、いろんな方のニーズを受けまくるのみ!…的な)が懐かしく思い出されます。

 その後、上記の構造改革の名の下、介護保険法に続いて「障害者支援費制度」が2003年に開始となり、障害児・者といわれる方々や、関係者にも大きな変革をもたらしました。

 そして、今、更に(急速に)、情勢は変化し、障害者自立支援法が成立しました。

 我々は、それこそ、個々のみなさんのニーズこそ(もしくは、「のみ」)を大切にしてきた時期から、制度に全てを合わさないまでも、少なくとも制度を気にしながらの活動展開を余儀なくされてきたという経験を積みました。

 今、まさに、制度や法に合わせた「一律」・「公平」という名による暮らしの抑制がなされようとしている中、今こそ、当初、大江が語っていたような、「ぷりぱ=根っこで、繋がりあう仲間たち=ネットワーク」の存在価値を如何に示していけるのかが問われるのだと思います。

 「ぷりぱ」、それが意味するモノは、そんな仲間たち(もちろん利用者のみでなく、しょうがいという言葉のみに括られるものでもありません)が、しっかりと、何ものにも左右されずに、その地域で暮らしていこう!という意味であると思っています。

 そして、私を含め、ぷりぱに関わったみなさんが、そんな、真の意味での、「当人主体の支援ネットワーク」の実現に向けて、この地域で、どんどん進化ていくことを期待しています。


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