地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

誰もが暮らせる地域づくり見聞録
長野県長野障害保健福祉圏域の取り組みから

作成日:2009年10月5日〜6日
掲載日:2009年12月4日(金)
報告者:特定非営利活動法人地域生活を考えよーかい

今回は、長野へ行こう!ということで、ぼちぼち気候もよくなった10月の初旬(しかし台風18号が追っかけてきました)に予定し行ってみました。
詳しく知る訳ではないのですが、滋賀県だとか、長野県は、例えば相談支援のシステムだとかが発達(変な言い方→機能という言い方でもいいようです)している地域だなぁというイメージと、西駒郷にみられる「地域移行」を行った(行っている)地域でもあり、北信圏域のイメージ(が相談支援というシステムの先進地といったイメージに繋がっているように思います…私の中で…ですが)があったり、更には、上小圏域(上田市等)にみられる、なんともステキな取り組みを行う法人さんがあったりと、魅力的(というか関心を向かわせずにいられない)な地域であったり、で、ターゲット地としてみました。
只、個人的には、北アルプスの山々に興味があったりするのですが、生憎の台風前の空模様につき、遠目からもそういった雰囲気は得られずでした(涙…)。
今回、私のみではなにかと足らずな見聞になってしまうということもあり、西駒郷の地域移行の検証等に尽力された蜂谷俊隆さん(関西学院大学大学院博士課程後期課程所属)に同行していただきました。
6日(火)の15時に新大阪を出発。しかし長野は遠い…と、実感で、名古屋から特急「しなの」で約3時間。その間は、西駒郷の地域移行(とその後等)について、同行いただいた蜂谷さんにお話しいただきました(西駒郷についてはここでは記載いたしません)。
今回のターゲット(変な言い方ですが)は、地域的には「長野圏域」(長野県の健康福祉圏域数は10、人口は全県で2,161,672人、長野圏域では562,960人/09年9月1日時点で) でして、これまで(の見聞録)とは、少し視線を変えてみて、いわゆる「国立療養所(国療)」→今では、独立行政法人病院機構と、「重症心身障害児(者)施設」で行われている「通園事業」について見聞きしようという目的です。
何故「国療(元)」や「重心(肢体不自由児)施設」なのか?というと、このあたりはかなり私的思いなんですが、この先、目指すべき方向・在り方として、西駒郷等(等と言っても、その後、次々実践されているという訳でもないようなんですが)に見られる「地域移行」を「重症心身障害」といわれる方々にも言えはしないか?、あるいは言わないか?(言うべきじゃないのか!?)といった思いが根底にありまして、そんなこと(かなり無謀?というか、誰も言わないこのことについて)をダイナミックに行う(と言うか、せめて並行に行っていく→地域移行ならぬ「地域並行」みたいな、あるいは、ぐらいな…)には、やはり「病院」だとか「施設」の力、更には、その方向性(向き方)が、「包括的に」だとか、「地域」なんぞを語る上では重要なんではないか?という思いから、自分的にはかなりアレルギーのある?双方(施設&病院)を訪問先にしてみました。
訪問先は、「独立行政法人国立病院機構東長野病院」と「社会福祉法人信濃整肢療護園稲荷山医療福祉センター」。
まず東長野病院(独立行政法人病院機構)、いわゆる元国立療養所で、その名称に独特のイメージを抱いてしまう私自身がいたりするのですが、やはり、外観的には広い敷地に古い建物、かつ少し郊外といった場所にあり(と言っても長野駅から約8.5km、車で20分程度の場所です)、それらしい(語弊あり申し訳ないです)建物でした。
今回のもう少し細かな見聞目的としては、長野圏域での、現状の地域支援(在宅支援)がどんなもんなんだろうか?ということで、重症心身障害者通園事業や短期入所、あるいはケアホームといったところを見聞きしたいと考えていたところ、この10月から、東長野病院でB型通園事業が始まる(始める)ということで伺ってみました。
まず、何故今頃(になって?)B型通園事業がたちあがったのか?というところは知りたいところでして、今回、ご案内いただいた相談室のSさんにお聞きすると、数年前から地域に向けた取り組みとして「通園事業」を行いたいという意向があったのですが、様々な事情があり、遅れ遅れとなってしまったということでした。
このあたりに関しては、例えば行政からの要請だとか、社会情勢の流れの中で(なんとなく)できてきたということではないということで、結構安心できる(法人の向き方=方向性として)回答でした。
只、全ての病院機構がそのような方向へ向かっているということでも無いようで、それぞれの方向性も一律ではないということも感じさせて頂きました(しかし、その運営形態は全国一律といったことがあり、新たな方向に向かう、あるいは向かおうとする際のネックにもなるようで、このあたりももう少しきっちりとした評価の上で、その在り方は考えられるべきなのかなと感じられました)。
また、HPのトップには「いよいよ始まります!」という言葉が掲載されていたり、地元新聞に掲載されていたりと、その意気込みは伝わってくるものでした。
しかし(何故か?)、オープン時の利用(登録)者数は2名ということで、定員(5名)にも満たず(それぞれの利用者さんも毎日利用するという訳ではないので、開園日も毎日ではない)、広々としたスペースを持て余しているといった感じでした(しかし手作りの通園室の案内板だとか、とても好感のもてる印象でした…でも、老朽化は否めない…)。
例えば、ここいら(阪神間)で、医療機関が、こういった通園事業を開始した(する)とすれば、もしかしたら(利用依頼が)「殺到」するのではないかしら?と思うのですが、そのあたりを伺うと、「送迎」の問題だとか、「位置的」な問題だとかがあるのではないかとの評価で、このあたりも考えて(工夫して)いく部分であるかと思えました。
また、長野市には、かなり進んだシステム(と思われる)=「長野市障害ふくしネット」というものが存在(長野市の自立支援協議会を兼ねているようです)し、そこによる「長野市内の在宅で医療的ケアを要する方々の実態調査チーム」の報告書を見ると、様々な、ご本人さんと家人の切実な思いと社会資源といわれる受け手との微妙(?)なすれ違いが炙り出されているようにも感じました。
上記の短期入所利用状況の評価も、この報告書を見ると理解できそうです。
そういったことは、次に訪れた稲荷山医療福祉センターでのヒアリングの際にも感じ得たことで、ニーズと資源が、それぞれ存在していても、その繋ぎ合わせを如何に行うのか?だとか、如何に繋がるような手立てをどのように講じられるのかがポイントなのかなと改めて思いました。
また、地域と繋がりつつ経過してきた法人と、語弊があるのを承知で言うと、少し地域と距離(感)のあった法人が取り組む同一事業についても「違い」が出てくるのだということも感じました。
午後から訪れた「稲荷山医療福祉センター」の通園事業は、1999年からA型通園事業を行っており、その母体は前述の法人で、長野県内に、もう一箇所、諏訪圏域(人口209,648人/平成18年3月時点)にて「信濃医療福祉センター」も運営されているということでした。
稲荷山医療福祉センターは、昭和39年(1959年)に開設され(信濃整肢療護園=肢体不自由児施設の分園として)、その後、名称を変え、平成10年に地域療育等支援事業、平成12年には上記の通園事業を開始し、元々は「肢体不自由児施設」であったところ、平成17年(2005年)に重症心身障害児施設を併設(現在、肢体不自由児施設床が40、重症心身障害者施設床が30という事でした)されたということでした。
このあたり、病院機構と比較すると、民営法人の方が、より柔軟に変化する社会情勢やニーズに添えていると言えそうです(と言える?のとともに、病院機構の持つ全組織一律・均一的な枠組みを持ってすると、なかなか柔軟だとかの取り組みは難しいようです…と感じました)。
ここでひとつ、触れておきたいこととして、長野県は全県としてのイメージも高い感があるのですが、長野圏域における「長野市」は、その中でも特筆されるべきカタチを形成してきているようです。
そのひとつが、先にも触れました「長野市障害福祉ネット」で、平成15年から国のモデル事業として始まったネットワークは、現在「自立支援協議会」として機能しているようで、今回も、その中のワーキングチームによる(上記の)「医療的ケア」についての調査報告書を拝読させていただき、その内容の濃さと実態を具体的にイメージできたものでした。
圏域には、記しました信濃療護園さんの他、「ながの障害者生活支援協会」さんや「長野市社会福祉事業協会」さん、「長野県社会福祉事業団」さん等があり、相談支援だとか自立支援協議会だとかもしっかり形成されているようです(その協議会を経て、施策フォーラムが開催され、実際に施策へと反映される過程があったりと、びっくり驚き&感激的なシステムです)。
今回、病院である「東長野病院」さんを訪れて感じたのは、正直、「病院」という処が、どの程度の「地域意識」というか、外に向いたイメージをされているか?といったことも関心事だったのですが、ご案内いただいたSさん、院内及び機構組織等について詳しい事はもちろんなうえに、地域であるとか医療等の課題等についても非常に明るく前向きであったのも、そういった圏域(特に長野市)でのネットワークや環境による部分が少なくないのでは?と感じました。
さて、長野県内の通園事業をみてみると、10ヶ所ほどあるようで、病院や入所施設、または通所授産施設が行っているようです。
また、長野県の人口は、2,161,672人ということは先にも記しましたが、重症心身障害児・者といわれる方々の数は、少なく見積もっても650人程(人口比0.03%として)。
繰り返しですが、長野県の健康福祉圏域数は10。今回訪れた長野市・千曲市等の長野圏域の人口は約57万人。このあたり、地域差はあるとして、重症心身障害といわれる方々が「何処で」暮らしているのかの確認はしたいと考え、わかる範囲で数字を出してみました。
東長野病院・のぞみ病棟(3病棟)は120床、稲荷山医療福祉センターの入所数(定員)は70床。
その他の圏域として、小諸高原病院(病院機構)が80床(重症心身障害児・者病棟2棟で)、松本医療センター(松本病院)にはB型通園があると聞きますが、入所は無い?。諏訪の信濃医療福祉センター(重心及び肢体不自由児施設)は、それぞれ60床(併せて120床…肢体不自由児施設は重心?)といった感じで、どこでもそうだが、「地域に居る(暮らしている)=施設に入所していない」重症心身障害といわれる方々は少なくない(筈)といえそうです(おそらく)。
ので、重心といわれる方々の日中の活動場所がよくわからないという思いはどこの地域にもあって、そんなことを解きほぐしたいのですが、東長野病院における通園事業には2名のみの利用だったり。
只、そのあたりは、先に記した「長野市障害福祉ネット」さんの医療的ケアワーキングチームによる調査報告書等を読み込むと決してニーズが存在しない訳ではなく、そのニーズをうまく資源と繋ぎあわせていくのか?といったことが課題であることが見えてきます(まだまだ足らない社会資源であることも言えるようです)。
更には夜の部(変な言い方)としての「短期入所」は、障害福祉圏域プランで見ると「長野圏域」(繰り返し、長野圏域の人口は562,960人(平成18年3月時点)で、身体障害者手帳保持者が23,608人、療育手帳所持者が3,672人、精神障害者通院患者数が5,648人という)で平成21年度の見込み量が1,271人分となっていまして、160人程(以上?以下?)いらっしゃると思われる重心といわれる方々の数も含めたそれとして、この数字はどう?と考え、東長野病院さんにお尋ねすると、週末の利用はそれなりにあるようですが、平日は「空き」があったりする(それでも年間のべ594日の利用があったと聞きました)ということで、かたや稲荷山医療福祉センターに問うてみると、ほぼ全日満床状態といった状況でした。
また、長野圏域に全県の約25%の人口比率となっているよう(松本圏域も長野圏域に次ぐ43万都市=ここいらでの尼崎・西宮規模)で、やはりどこにでもある地域(圏域)間格差はあるようです。
しかし、その格差は決して大小ということが原因ではないようで、例えば北信圏域なんかは至って有名で、重心といわれる方々に対応したケアホームがあったり、上小圏域(人口20万強=伊丹市規模)でも、重心といわれる方々へ対応したケアホームやかなり進んだ(と思われる)取り組みを行なう法人さんが活動(事業)展開されているようです。
稲荷山医療福祉センターでは、相談室のKさんが、ほんとに丁寧かつ温かな対応をしていただきながら、長野圏域の状況をお伝えくださいました。
稲荷山医療福祉センターさん、街の中にある、その手(いわゆる重心のみだけでなく、様々なニーズのある方々に対応しようとする)の法人さんで、肢体不自由児施設でありながら、先にも記した重症心身障害児施設であるとか、隣接している養護学校における「医療的ケア」についても対応をしているという、まさにスーパーマン的な取り組みでした。
故に、例えば「短期入所」にしても、「通園事業」にしても(通園事業に関しては、登録メンバーさんが40名程だということでした)、許容量いっぱい…といった感らしく、それだけの需要集中=トータルとして(他の事業所等も含めて)の資源の足りなさは間違いなくあるということもお伝えいただきました。
このあたりを見てみると、先にも記したことと同様で、繰り返しとなるのですが、日々繋がっている場所(施設)における様々な取り組み(事業)には、なにをおいても「安心」があり、かつ機能性としての繋がり→稲荷山医療福祉センターでは、通園(未就学児の)事業も行い、就学(隣接の養護学校)部分との?がりもり、通園事業も行なっているということ等から、利用が進む(集中する)といったことがいえそうです。
只、その安心と機能的カタチが必ずしも良いものなのか?というと、そこは考えどころであることは言えるかと思います。
更に社会資源を増やす、作る、利用するといった観点に立つと、またいろんなコト(おそらく基本的な、当事者みなさんからすると充足して欲しいコトなんでしょう)が、見えてくるように思えました。
にしても、稲荷山福祉センターさん、もの凄くがんばっている法人さんという印象で、強烈な施設アレルギーも反応せずでした。
もちろん、東長野病院さんにしても、私の(よくない)イメージを払拭してくれる方向性を感じさせていただき嬉しかったです。
で、今回、せっかくの医療機関を立て続け…ということで、医療機関であるスタッフの感覚を感じてみたいと思ったのは、幾らかの実例を見ていくと、重心といわれる方々の接点としてある「医療職?」といわれる方々の意識が、その方々の行く先(将来の様々な)に影響を与えるものであると思ったりしたからです。
例えば、地域移行などといって施設解体(?)を行う際にも、そこに居るスタッフ(職員)の意識変更(?…改革?)は、そんなに容易ではなかったと思いますし、ましてや医療モデル的に生きてこられた(と思われる方が少なくない)医療職といわれる人種(職種ですな)みなさんに、地域移行…ましてや医療的ケアなんぞというだけでやたらと「困難」とされる方々にとって、それを導いていくような意識は育つのか?、あるいは拡がるのか?、といったところも感じ考えてみれればと思ったりしたものです。
このあたりの考察が、実は最も重要ではないかと思っているのですが…。
そう考えると、「医療的なケア」よりも、ある意味「激しく動く(心身ともに)」障害者といわれる方々や、「ほとんど動き(心身ともに)のない」とみえる障害者といわれる(あるいは言われない)方々の方が、支援するには大変だったりする(こともある)のですが、そのあたりのことも含めて、「医療モデル」「社会モデル」「本人モデル」「支援者モデル」といったことを諸々・色々考えていかなければと思うのでした。
結局…重心だとかといわれる方々について「地域移行」と言えるのか?言えない(言わない)のか?。
言うとしても言わないとして(どうなっていくんだろうということについて)も、病院(特に国立病院機構等)や施設(重心施設)の行方(…思想・理念?…外からのインセンティブ?)が、彼等・彼女等の、今在る生活(入所生活だったり、入院生活だったりするのですが)に、たぶん大きな影響力を持っていると思う訳で、そこんところを考え続けていきたいと思います。
誰もが「地域移行」であってしかるべし、で、そこを口開かないのもおかしい…そんなことを思いながら遠征でしたが、両法人ともに、ステキな魂をお持ちで、嬉し喜べた一日でした。
この場をお借りしまして、両法人及びご案内いただいたSさん、Kさんに厚く御礼申し上げます。

以下は、同行していただいた蜂谷俊隆さんによる訪問時のメモです。


東長野病院

施設形態:重症心身障害児委託病床/重症心身障害児通園事業(B型)

Q1:国立病院が地域の中で、重症心身障害児者の支援について、どのように機能しているのか。また、病院に入院中の生活はどうなっているのか。
A:あまり良いことではないが、人間(スタッフ)の定員がが本部で基準があり、全国でほとんど変わらない。均一化していて、高い意識があったとしても、本部で患者さん40人に対して看護師何名という基準が決められていて、それを超える人員の手配ができない。多少緩和されて病院の中で経営がうまくいくとか、患者さんを上手く回していく等で多少の運用は利くが、まだ本部の縛りはきつい。必要があるからと言っても、早急にある職種を増やすことはできない。例えば、PTと増やすとしても、患者さんが増えて、点数がこれだけ増えて、経営上うまくいくというようなことがクリアできないと増えない。看護師の数は変わらないし、保育士の数も変わらない。このようなことから、病院の中で、限られたスタッフの中でどうするかということが我々の悩みである。ケアの計画を立てるが、40人に対して保育士が2名で、指導員が1名と、3人で40人の患者さんをみている状況である。到底痛いところに手が届くケアにまでにはいかない。ベットから出るのが9時半か10時頃になる。その後、全体の活動があって、11時半頃からは昼食、午後からは個別指導で小グループに分かれてようやく少し個別の活動ができるという状態である。看護師さんは、呼吸器や医療ケアにあたる。看護師さんは40人に対して、日勤で7〜8人ぐらいしか配置できない。一人で4人から5人を看ていてる状態である。それでも、かなりの看護料だとは思うが、重心の人は自分で日常の動作が出来ないので、どうしてもフォローしなければならないところが出来ていないのが実態ある。
Q1:利用者の年齢層について
A:平均年齢は、35歳ぐらい。全国的にも同じだと思うが、昭和45年頃に10施設ぐらい出来て、昭和52年頃以降は新設されていない。長い人は30年以上も入院している。
Q1:いわゆる入院待機の人はいるか。
A:待機の人はいる。親御さんはある程度は自分の手元で、親による介助が無理になったら病院か施設へという方が多いので、年齢的には高い方がいる。後は、家庭的な問題、医療的ケアの必要度が高い方、またNICUからの安定期に入った人が待機している。
Q1:医療的ケアが必要な方が、NICUから家庭に戻って来る場合、地域と一緒に暮らしているケースはあるか。
A:あると思うが、十分把握は出来ていない。
Q1:通所事業について、開始するまでに組織内にどういった経緯があったのか。また、地域のニーズ把握はどうであったか。
A:明らかに重心の人が、知的障害の事業所に通っている例がある。重心の人でも、受けてくれる知的障害者施設や事業所が増えている。逆に、地域によっては重心施設の病床が埋まっていなかったり、ショートステイでも知的障害の施設で受けている場合もある。重心のグループホームもある。病院以外の地域の施設、事業所が頑張っていて、病院に来てくれない地域もある。病院は頑張らないといけない。
Q1:入院されている人の障害種別について
A:神経難病は、専門医がないと難しい。確かに、自立支援法では、三障害が統一されたが、病院としては専門医がないと医師が難しい。筋ジストロフィーについては、指定病院で対応している。長野県では、鹿教湯病院が対応している。療養介護を受けているところは少しずつ増えている。
Q1:通園に通っておられる人の居住地域について
A:車で15分ぐらい。市の広報や、一般の新聞にも載ったが、問い合わせが数件というところで、利用につながるような問い合わせがない。
Q1:まだ、地域で社会資源を使っていくことが定着してないということか。
A:もっと地域に貢献出来るところがあると思う。地域資源が沢山あって、いろいろなサービスが受けられるという状況ではないこともあって、在宅の人がまだ社会資源に結びついていない状況はあると思う。社会資源使い方に慣れていないこともあると思う。
Q1:外来の人への対応について
A:訪問看護等の対応はあるが、医師が往診することはない。診療については、オープンであるが、かかりつけ医は地域の病院にかかっていると思う。
Q1:併設されている養護学校の対象者について
A:併設されている養護学校は入院患者の内、学齢児の受け入れの為の養護学校である。地域の学齢児は、近くの長野養護学校に通っている。併設養護学校については、入院患者の学齢児が減少すれば機能は変わってくるし、学齢児がいなくなれば必要もなくなるだろう。長野養護学校の進路の教員とは連絡があり、長野養護学校の卒業生の入所の相談を受けることはある。
Q1:入院患者が地域や、自宅に戻ることはあるか。
A:ほとんどない。むしろ、ここがゴールのようになっている。特に、規定はないが、障害者自立支援法の中で、地域移行加算が設定されたことからも、制度上はゴールではないと思う。その意味では、地域に戻ることが一番の目的であり、地域に戻ることを目標に方針を立てなさいということだと思う。重症の新生児をケアするベットがないということは、長野県に限らず、全国的に言われている。国の調査が3年ぐらい前にあり、コーディネーターをおいてマネジメントをするシステムを作りつつある。NICUは高級ホテルだとすると、委託病院は安ホテルであるといわれ、設備や機能に格段の違いがあるという問題点が指摘されている。NICUから安定した場合は可能かも知れないが、生活の場であるので人的にも設備的にも見劣りをする。ただ、病棟は生活の場になっており、現に長期間入所し続けている人は、ある意味で健康な人である。いろんな、環境や社会的な問題で入所しているので、できれば地域に戻れれば戻った方がいいだろう。医療的ケアが必要でない人もいる。中間的な施設があれば、普通の暮らしも出来ると思う。そういった移行があれば、空いたところにNICUからの移行も可能だろう。
Q1:看護師の確保が難しいと聞くが、職員の確保はどうか。
A:看護師の確保は大変である。募集しても確保できなくて、ある病院では医師と看護師が集まらないので、病棟閉鎖という例も聞く。地方病院の宿命である。国立病院の場合は、規定もあって、待遇を良くするなど競争することが出来ない。
Q2:通園事業の実情について
A:通所者が集まらなくて苦慮している。利用時間は、9時半から15時までで、9時までにお迎えに行って、15時15分頃に送っている。
Q2:通園事業を作る経緯について
A:院長がかなり以前から、構想を持っていたが、地元行政が積極的ではなかった。全国的にも手を挙げるところが多くて、その中で事業を取ってこれる見込みも立たなかった。ようやく、2、3年前に実現の方向になった。
Q2:ショートステイの実施状況について
A:長野県はショートステイの取り組みが比較的遅かった。また、病院の努力にもよる。職員の教育や設備を整えないと、手を挙げられない。現在利用している人は、ほとんどがリピーターである。延べ日数は594日、119人である。利用を前提で把握している実人数は、20人ぐらい。
Q2:ショートステイ利用者の居住地域について
A:近隣が多いが、他を断られて車で1時間ぐらいかけて利用される場合もある。立地から、平日が少なくて、土日が多い。新規の利用相談は、年に2、3ケースぐらいある。外来受診が利用の前提となる。ショートステイの利用がされなくなった人について、ケースワーカーから問い合わせがあったが、なぜ利用しなくなったかということまでは把握していない。サービスに対する不満や、ニーズへの不適合もあったかもしれない。
Q2:地域の相談機関や、他機関から紹介はあるか。
A:地域からの相談や紹介はある。いつも利用しているところに空きがなく、問い合わせが来る場合もある。ショートは拠点が少ない。
Q1:今後の地域への展開について
A:在宅支援会議を企画したり、地域に向かってという気持ちはあるが、ニーズがかみ合わずにいる。ニーズを把握する機能がまだ弱かったり、病院が持っている機能と、在宅生活で必要とされていることの乖離がある。


稲荷山福祉センター

施設形態:肢体不自由児施設、重症心身障害児施設の併設/重症心身障害児者通園施設(A型)/ショートステイ/障害児・知的障害者相談療育センター等

Q1:ショートステイの実施について
A:入所施設のリビングを仕切って使っている。以前は、居室に空きがあったが、空きがなくなった。泊まりは3人ぐらいが限界である。日中利用まで入れると、7、8人ぐらい。宿泊、日中ともほぼ埋まっている状態である。隣に学校がある影響(意味)は大きく(連絡通路でつながっている)、学校が終わってそのままショートを利用し、翌日そのまま学校へ行くといった利用が可能である。場合によっては、訓練もついでに行えることや、普段の日常の生活を崩さずに、ショートステイが利用できるのが当センターのメリットとなっている。
Q1:緊急時のショートステイの対応について
A:緊急時にも対応するが、これまで全く利用経験のない初めての方の場合は無理である。日中利用から始まって、何回か宿泊利用をして、緊急時にも対応できるようになる。
Q1:地域のニーズと社会資源について
A:地域の状況としては、通園事業については行くところがなくて困っているという状況だ。ただ、東長野病院で通園事業が始まっても、毎日送迎が出来ないとか、立地の事情から利用が進んでいないようである。東長野病院は、長野市でも方向が正反対で、不便だという感覚がある。また、当センターの方が、特別支援学校が隣にあってなじみが深いのかもしれない。さらに、東長野病院は人の出入りも少ないので、当センターの方が活動的な印象もあるのかもしれない。機能が訓練から入所施設、学校まで集約されている。このセンターにつながっておけば何とかなるという、思いがあるのかもしれない。地域の資源は、少しずつ増えているが、まだまだ小さい頃から通っているこのセンターにつながっておきたいという気持ちはあると思う。ただ、当センターは医師が常駐しておらず、それに対して東長野病院には医師が常駐している。東長野病院の方が、医療のケアが必要な人にとってはメリットはあると思う。
Q1:入所施設部門の状況について
A:一生入所できる重症心身障害児施設のニーズが増えて、数年前に肢体不自由児施設との定員比率を変更した。重心の比率をさらに増やすことも検討している。ただ、入所は手一杯で、昼間の活動も十分ではない。肢体不自由児施設の利用者の中には、そのまま重心施設に入所を希望される場合と、学校が終われば自宅へ戻ることを希望される場合がある。地域の社会資源が増えないと、入所部門の入れ替わりは進まない。
Q1:医療的ケアが必要な人の地域支援サービスについて
A:本当に使える社会資源が少ないと思う。通っていくところがないこと、いざという時の対応がないことが深刻だと思う。知的、身体問わず、医療が必要でなくてもあらゆる障害の人が、このセンターに集まってきてしまう状況からも、資源が不足していることは感じる。センターとしては、医療が必要でなくても拒めない状況がある。
Q1:課題の解決に向けた連携や課題の共有化の取り組みについて
A:それぞれの資源が、キャパシティ以上に受けているが、ニーズは高まってきていて追いつかない。ただ、機関間のネットワークはできつつあり、機関が孤立することはなくなってきた。それでも、新しい資源を作るとしても、それまでそれぞれが関わった人を想定してしまうので、地域全体のニーズを見渡してというわけには行かない状況もある。

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