地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

医療的ケアに関する議論等に対する(個人的)意見(書)

作成日:2010年12月20日(月)
掲載日:2010年12月21日(火)
報告者:特定非営利活動法人地域生活を考えよーかい
(又は、重症心身障害児・者といわれる方々らと共に生きる会:通称/ラーの会)
李 国本 修慈
mailto:kunimoto@kangae-yo.com

 日頃は、様々な場面において、件名等に関する熱心なご議論及び活動されているみなさんには、心から敬意を表します。
 さて、件名についてですが、私見として述べさせていただくことを予めお断りした上で、昨今の議論等(介護職等によるたんの吸引等の実施のための制度の在り方に関する検討会や各地で行なわれている議論等)に対し、少し意見させていただきたいと思います。
 私は、十数年に渡り、障害者・児といわれる方々らと共に地域での暮らしを極当たり前なものにしようと活動してきた者です。
 そんな中から感じ得る(得た)ことを挙げさせていただきたいと思います。
 まず、今回の議論の中心(あるいは「的(まと)」)になっていると思われるのが、主体的に生きよう(あるいは生きられるべき)とされているご本人さん(当事者)への視点ではないように感じられ、その人に対する支援・援助・介護・介助の中の一部に過ぎない「たんの吸引」や「径管栄養(の管理、あるいは手技)」等であるということ。
 それらの「手技(知識等も含めた)」が行なえるということのみに着目した介護職者を作ろうとすることは、決して、ご本人さん(当事者)が、地域で暮らしていくという真の意味(何よりも自らを託すことのできる、あるいは共に過ごすこと・暮らすことのできる介護者を得る・作っていく・共に育っていくということ)での利益には成り得ないのではないか?ということを指摘しておきたいと思います。
 それは、彼女・彼等の暮らしを「その人らしく」成り立たせるコト・モノが、決してひとつやふたつの手技では無いということ。また、今進められようとしている手法ですと、次から次へと新たな「手技(のみが)可能(な)介護者」を養成して行かざるを得なくなるように思えます(これだけでも、この介護者不足の中、積極的支援参加の停滞を増強することになると考えられます)。
 決して、人への支援(援助・介助・介護)というのは、部分のみに対応して行くことから始まるのでは無いということ、すなわち、そこには一定の関係性によってこそ成し得る呼吸の援助、栄養(食事)摂取の援助(これらは彼女・彼等の生活支援にとっては、大切な部分ではありますが、全てではありませんし、医行為で有るか否かということ以前の呼吸・節食への援助)であるという捉え方が必要であると、少なくとも私は考えています。
 このことは、これまでの私たちの経験からも明らかな事由であり、例えば関係性の乏しい医療職といわれる方々によっての、彼女・彼等の生活の全般についてということももちろんですし、その一部分である上記ふたつの手技にしても、安全に、より快適に行なえる保障は在り得ません。このことについては、多くの方々が指摘していることだと思います(もちろん、医療・治療として、医療モデルとしてのアプローチも、医療ニーズが高いとされる方々には必要なことであるということに異論はありませんし、そのことについては後述します)。
 そんな中、私は意見(提案)したいと考えています。
 今、流れとして在る「ある手技(処置)のできる(認める)介護職の養成」。
 そのことが、決して誰も(医療的なケアを要する方々等を含んだ)の豊かな生活を保障するものには至らないのではないのか?ということ。
 例え、現状の流れで、この件がある一定の決定(いわゆる医療的ケア/医療行為のできる介護職者の養成)を持つこととなった際にも、ご本人さん(当事者)から「拒否できる」=「選べる」システムは必ず残していくということをお願いしたいと思っています。このことは、要するに、そういった「手技を会得・習得した(とされる)者」ではなく、「自らとの関係性を持って自らのことを共に(の協同として)託せる者」を選べるということ(これについてのシステムは全国各地でとり行われている実践が多く在ります)。そのことを強く主張しておきたいと思います。
 そして、この考えは、施設の場(入所や通所等)・教育の場(学校や訪問=自宅等)・暮らしの場(自宅・共同住宅等)等で分ける(ダブルスタンダードのような)のではなく、どの場面(場所)でも一貫して存在させるべきであるようにと主張いたします。
 更には、これも古くから多くの方々により主張されています「医行為」・「医療的ケア」等を「生活援助(支援)行為」として捉えていくべく、古くに作られた医師法等を現代の暮らしのニーズ(生き易さ)に準えた変更(改正)へ、しっかり向いていくということも重ねて強く主張しておきたいと思います。
もちろん、医療行為は医療職が担うべきであり、ここでいう「医行為」・「医療的ケア」等は、病院から退院した時点で自ら、又は家族が担っている(とされる、させられている)ケア・手技・行為のことです。
 そして(特に)、「高齢者と障害者」、「施設(入所・通所等)と在宅」というような切り分け方を落としどころにするのではなく、この国の全ての人々に対するスタンダードとしての個別的支援(パーソナルアシスタンス)の方向へ向かう事を切望いたします。

 追記:法整備の検討の際、研修がどのくらい(時間)だとか(研修は幾らでもすれば良いと思っていますが)、それを受けないと「できる・できない」ではなく、今後は法そのものへの切込み、すなわちケアをもって、それを医療的かどうかとするのではなく、どの状況(その人の状態、あるいは生活の場の環境等により=医療なのか生活支援なのかというような)なのかを見定めた上での生活支援(援助)行為としていくように切望します。
 介護保険や障害者自立支援法などの反省から、もうこれ以上の不特定多数者を社会に作るのではなく、特定の人としての関わりのひとつとして、それが意味づけられることを心から願います。

本文終了


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