地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

神戸常盤大学 健康科学部 看護学科でのお話内容

掲載日:2014年6月6日(金)

mailto:kunimoto@kangae-yo.com

神戸常磐大学健康科学部看護学科1年生みなさんへ

有限会社しぇあーど李国本修慈

 はじめまして、伊丹市(兵庫県です)から来ました国本と申します。今日は岩越先生からご依頼いただき、みなさんの前でお話しさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 私は現在、伊丹市を拠点に「地域生活支援」などという活動(あるいは事業)を行っています。今日は私が「日々、思うこと」と題して、看護学科のみなさんも関わるであろう文言等(医療・看護・福祉・教育・法制度・暮らし・命・多職種連携・ネットワークetc…)から「とっても大切なこと」を一緒に考えていければと思っています。

 私の名前は「李国本修慈」と申しまして、少し変わった表記のように思われるかも知れませんが、在日朝鮮人(韓国人)三世ということで、実はみなさん(おそらく多くの学生さんが二十歳前だとイメージしています)と同様の年頃まで「本名」を名乗れず(名乗らず)にいました(「国本」は通名であり、本名は「李」ということになります)。高校を卒業と同時に「本名を名乗ろう」等と思ったのですが、それまでに使ってきた名前(通名)を捨てることもないのかな?と思い、こういった表記となっています。私自身は3世ですが、2世1世の方々は私たち3世以上に「国籍が違う」ということにより、随分と暮らし(生き)難かった時代があったということも言えそうです。

 私は自己紹介の際に「ラー星人」等とも言うのですが、こういった活動を続けてきた中で「重症心身障害」(この言葉の定義も学習してくださいね)といわれる方々と関わらせていただく機会やお付き合いが多く、ある人から「お前は重心ラーや」(「重心」とは「重症心身障害」の略語です)といわれたことからそのように言ったりします。「ラー」は「マヨラー」(マヨネーズを離せない、あるいはこよなく愛す、といった風な意味ですかね)の「ラー」と同様な意味で、重心などといわれる方々らと離れられない、一緒に居(お)りたいと思わずにはいられない人々の総称でして、そういった方々の集まりとして「ラーの会」(正式名称:重症心身障害といわれる方々らと共に生きる会)というのがあり、この7月5日(土)には京都にて第3回全国大会が開催されます。

 私たちの活動は1990年代の後半頃から、なにかと「生き難い」(暮らし難い)とされていた方々へのお手伝いとして「1時間1,000円で何でもします」というところから始まりました。当時は今のような制度(介護保険や障害者総合支援法等)がなく、まさしく「口コミ」により私たちの活動が拡がっていったことを記憶しています。その拡がり方は2,000年(介護保険法が開始となった年)に私たち(同志3人)が事業を開始してから2年程の間に、私たちのサービスを利用したいという方々の数が約300名にもなりました。それだけの需要が在った当時から十数年が経た現在、介護保険法に始まり、社会福祉基礎構造改革という名のもと障害福祉サービスも利用契約制度となって(それまでのことを措置制度と言いますね)、「選べる」筈の福祉サービスであったのですが、現状は如何なんだろうか?といったことも、今回みなさんに感じ取っていただきたいものです。

 私たちは「有限会社しぇあーど」という法人(営利法人です。それに対して「社会福祉法人」や「NPO法人」という形態がありますね。)で、居宅介護や訪問看護の他、ガイドヘルプ(移動の支援)や短期入所(宿泊=ショートステイ)、相談支援等を行っています。

 ここでも、そういった既存の法制度のみで「人を支える」等の発想を持たないことが大切であることをお伝えしたいのと、法制度のみによって組み立てられる「暮らし(生活)」が本当にその人それぞれにとっての幸せなのかということも考えてみたいところです。

 そういったことから私たちは先に記した法人とは別に「NPO法人地域生活を考えよーかい」として法制度には乗らないサービス(自費サービスや移送サービス、研究やイベント開催等)を行っています。

 さて、みなさんは「障害」という言葉の意味をどの程度理解できているのでしょうか?。私自身もその言葉の意味を理解できているとは到底言えないのですが、この国(日本)の法律=障害者基本法にも一昨年(2011年)の夏に改正された中で、「障害者」の定義に「社会的障壁により、継続的に日常生活または社会生活に相当な制限を受ける状態にある者」という文言が付け加えられました。その「社会的障壁」についても改正された同法では「障害がある者にとって日常生活または社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう」とあります。即ち、物理的なバリアのみではなく、人を排除する法や制度、習慣や偏見も含んでいるということです。私たちは少なくともこのことをもって「医療」だとか「看護」「福祉」を考えていきたいものです。

 そして、これからみなさんが関わろうとされる対象は「患者」だとか「高齢者」あるいは「障害者」といわれる方々であるのかと思うのですが、そう呼ばれる方々全てがあたりまえに固有のお名前を持った「人」であるということ、それぞれの人がその人なりにではなく、その人らしく生きる(暮らす)ということはどういうことなのか?ということを考えていきたいものです。

 そして、私たちが10数年の間、様々な方々やご家族と関わらせていただいてきた中で感じてきたことは、例えば超重症などといわれたり、あるいは脳死状態だといわれる方も、全ての方々が自らの思いで生きようとしていることであり、どなたもが誰かや何かに護られ保護されて生きていく(暮らしていく)存在ではないということです。

 昨今の時代背景、例えば2025年問題だとかNICUの満床問題等により在宅医療あるいは小児在宅医療が普及し始めていますが、背景は背景であって、ぜひみなさんが進もうとする先では、背景のみにより動く、あるいは動かされるということではなく、関わりたいとする人の発動する思い(何処で誰と如何暮らしたいのかということ)と自らの思いを交錯させながら思い考え(悩んで)ていただきたいと思ったりしています。

 本当に大切なもの、「患者」や「高齢者「障害者」としての、あるいは「看護師」や「専門職」としての「幸せ」ではなく、「あなたとわたし」という関係性の中から湧き上がるような「幸せ」を求めていってほしいと強く思うところです。みんながご機嫌に暮らしていける社会を創造していくみなさんに期待しています。


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