地域生活を考えよーかい

フリースペース【バックホーム】と【こうのいけスペース】

こうのいけスペースでの取り組みについて

時々、お越しいただくみなさんへの「こうのいけスペース」の説明書面です。

作成日:2005年9月22日(木)
掲載日:2005年9月25日(日)
作成者:地域生活を考えよーかい
有限会社しぇあーど
李 国本 修慈


 05年4月、支援費制度が開始となったその年に伊丹市にも「地域生活支援」を行う拠点を創ってみました。

 90年代後半からのレスパイト活動などから、その需要の高さは明白、で、しかも当人支援という概念も普及しつつある中、「障害が重い」などといわれる方々への支援に重きを置いて活動を行ってみました。

 制度のみで、当人及び家人の暮らしが支えられないなんてことは周知の通り…、で、なんでも(預かり・宿泊・緊急時対応・送迎・相談などなど)行う(行える)基盤を創るためにと行ってみました。

 ひとつは、拠点スペースの確保。
 重心(重症心身障害児・者)などいわれれる方の活動保障には、「拠点」は間違いなく必要。
 それは、収容・隔離のイメージではなく、自由な活動の基盤となる「スペース」、しかも「共有」、「地域に開放された」といったイメージが必要であると考えました。

 「こうのいけスペース」…、それまでに活動を行ってきた兵庫県尼崎市の「地域共生スペースぷりぱ」をイメージ⇒店舗付き住宅、住宅街の一角…、ということでスペースの場所を決定しました。

 現在、「こうのいけスペース」の家賃は12万円。奥のスペース(マンションの一室101号室)の賃料は8万円となっています。
 で、重度障害児・者の、暮らしの中の需要として、大きい(と、これまでの活動で実感していたのですが…)ものが「清潔(入浴)」への欲求であると考えています。

 何故か、日本の施設・病院などなど(刑務所も??)は、週にたったの2回や3回程度の入浴機会と定められているところが少なくないと実感しています。
 更には、家人による介護負担という点からも、日本の住宅事情もあるのでしょうが、自宅での入浴は極めて困難…だということくらいは、軽く感じてしまうのでした。

 そんなんで、支援費制度という、それまでと比べて(それまではホントに収益の「し」の字もあがらない中での活動でした=こういった状況は、全国各地の先駆的な活動者さんの声を聞いても明らかであると思います)、飛躍的に支援報酬が上がるサービスを提供することによって、一年目の目標を「活動拠点」の確保、と、その中には「大きなお風呂」の設置というものを掲げて活動してみました。
 こうのいけスペース、現在では3スペース(道路沿いの店舗⇒メインの102と、奥のマンションの一室・101、事務所と疾病時利用等のスペース・201があります)あるのですが、当初(03年4月)には、何もないところ(伊丹市西台というところの空き部屋を借りての事務所のみ)からのスタートで、同年6月に前述の101スペースをオープン、翌年(04年)2月に現在メインスペースの102をオープン、更に同年6月に事務所を201に移転という段取りで行うことができました。

 「こうのいけスペース102」をご覧になっていただくとお解かりかと思うのですが、肢体不自由児・者のためのフロアスペースと畳スペースに区分し、更に大きなお風呂に大きなテレビなどを設置しています。
 これらの設備、私たちの感覚では「広い、念願の…」といった感じなんですが、例えば施設や病院等のそれとは見比べる程のモノでもなく、お風呂にしても機械(リフトなど)があるわけでもなく、既成のユニットバスでの最大級のモノという程度のモノです。
 トイレにしても、できれば別組みでの単独身体障害者用トイレを設置したかったのですが、設置場所などが到底作れず…、といった状況は、ご覧いただければ感じ取っていただけるものかと思います。

 更に、こういったスペースの開放(創設)にはコストが当然かかるのですが、ひとつは、一年目の事業収益、更に県事業であるコミュニティ・ビジネス離陸応援事業による助成金を受けて行っています(改装費は約500万円です)。

 支援費制度においては、その見積もりが甘かった(?)為か、その介護報酬が、二年に渡って大きく減額されてきました。
 適正な介護報酬は如何に?といった議論は間違いなく、きっちりと行うべきではあるのでしょうが、我々のように、支援度の高い方々への支援を「包括的」に行う(もしくは行おう)という者にとっては、大きな打撃であったことは間違いありません。

 この手法が良いのかどうかはよくわからないのですが、事業収益を、今ない制度に活かしていく…ということは必要で、今の大きな悩みは、これまで行ってきたコトの継続・維持、更には新たな活動転換へのチャレンジが極めて行いにくくなったということです。

 具体的な数値を示す(必要であれば事業決算の04年度分と05年4月以降分の月決算書もご覧いただけます)と、04年度の月平均収入が、05年度には約3割減となっています。
 国の補助事業である制度設計報酬金額が、このように大幅な減額が行えること自体が不可解でならないのですが、これによって、私どもの活動に支障をきたした(きたしている)モノを以下に記してみます。
 まず、03年度から随時、スタッフ(常勤)の拡充を行い、昨年度までに、18名(出資者3名含め)の雇用を確保(非常勤スタッフは30名程度)してきたのですが、現状(05年以降)では、スタッフの増員の計画が上げられないといった状況となっています(しかし、需要は、未だに増加の一途をたどっています)。
 更に、事業内容として、今後、益々拡大していくであろう重度障害児・者支援の為のハード面(例えば日中活動拠点の増設や緊急時の預かり・宿泊場所の新設)での計画も停滞している状況です。
 加えて、支援度の高い方々への支援者の育成という目的から、行ってきた自主研修(近隣施設・青葉園等での体験実習や医療的ケア実施者養成研修など)が行えなくなったという現状があります。

 更には、障害児・者にとって、活動に欠かせない「移動の手段」においても、現在法人所有の車両が5台あるのですが、その維持も極めて困難な状況となり、利用者皆さんへの負担増といった現象が起こっています。
 移動に関しては、道路運送法によって、我々の行ってきた有償ボランティア移送も変化せざるを得ない状況ですが、障害児・者、特に「重度」などといわれる方々への「移動」に関しては、その改革が、より障害児・者といわれる方々を社会から分断し、より重度(移動手段負担よる障壁)としていくのではないかと危惧いたします。

 今後行われていく、障害福祉の改革に関して、その実態=少数派といわれる方々の生活実態を充分に熟知し、更に、我々のような、零細ながらも支援活動を継続していこうというNPO等の活動団体の存在も周知していただきたいと痛切に願うところです。

 加えて、先だって行われた重症児守る会の勉強会(9/3・奈良)においての、課長補佐さんの講演・質疑録等を拝読した際にも、医療的な支援を必要とする方々の地域生活は、本当に危機的状況だと感じざるを得ませんでした。

 私自身が03年4月に、単身で、全くの0から、やってみようと考えたのも、こういったことが、可能・実現できるということを証明してみたかったということもあります。

 私どもの活動拠点等を多くの方々にご覧いただき、決して、重度障害児・者の生活場所は施設や病院、更には家人のみによって守られた居宅のみではない…ということを感じ取っていただき、それに即した社会資源の創出に向けた法律・制度を築きあげていただきたい(行きたい、かしら?)と思います。


 いわゆる重症児といわれている方。気道閉塞による気管切開を要し、長年(といっても未だ19歳です!)の心身の消耗によるネフローゼ症候群などの疾患もお持ちですが、自宅療養等ではなく、地域で暮らしておられます。六甲山頂に登ろうということで、です。

 ↓、当然のごとく、ビアパーク(ビール工場)等へのお出かけもします。




 彼(手前の、ではなくって、奥の…)も、難病といわれる疾患をお持ち(気管切開しカニュレや膀胱留置カテーテル等を利用しています)ですが、極々当然のごとく、喫茶店に行きたかったり(しょっちゅう行ける訳でもないのですが…)するのです。

 ↓、これまた極自然の光景なんですが、呼吸器なんぞを利用して、花火なんかもするのです(そんなん普通やん!と思っていただける方がいっぱいいると嬉しかったりする現実です)。


 彼女は、大きな(というか、重たい、、)呼吸器等(いろいろいります⇒吸引機だとか…)を持参で、当然のごとくボウリング等に行くのですが…、、。。

 ↓、彼も自宅で、療養ではなくって、暮らして(生活を楽しんで)います。

 彼女も、それまで病院以外にほとんど外出したこともなかったのですが、支援費制度開始時から、訪問看護も含めた支援体制の下、たくさんの外出ができました。

 ↓、彼も、呼吸器なんぞ、なんのその!で、お家での暮らしを楽しみにしていました。

 超重度などと言われちゃう彼女も、支援費制度に訪問看護を重ねて利用で、車に乗ってお出かけです。実は、おかーちゃん「これまで、4時間以上離れたことなかったの…」という、典型的な居宅内隔離(語弊があったらすいません)の方です。と、言っても年間にトータル半年くらいは入院生活を送っていたのですが、ここんところは、「もう何ヶ月連続自宅で過ごしているやろか?」と記録更新しています⇒それも成果?かしらと…。ついでにおかーちゃんも少し就労できたりしています。

 なんとなく、感じることは、こういった方々の暮らしの実態が、どこまで、多くの方に届いているのか?ということ。
 けっこう、こういった方々への支援は難しいコトなのかも知れません。
 更に、上記に掲載させていただいた方のお二人は、その短い歳月での暮らしを終えて天国に行かれています。
 なんのこっちゃ…なんですが、だけど、どの人もこの人も、それぞれ望む暮らし(生活)はある訳で、せめて最低の暮らしくらいは、しっかり支えていかなければ…と思います。
 言うても、この二年と少しの間に、まだまだ不足に不満だらけではありますが、彼女・彼らを支える基盤はカタチをなしてきたと思います。
 それもこれも、制度になんぞのおかげだとは言いたく(頼りたく)ないのですが、ぶっちゃけ、制度による(よった)ところも多い訳です。
 せめて、彼女らの現状の暮らしが後退しないように、、いやいや、まだまだ進展していくような、そんな地域社会が創れるようにと願ってやみません。。


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