新しい年を迎えました。
と言っても、何がどう変わるといったこともないのですが、気分だとか、思い(等)だとかも一新(初心に返り)して、がんばっていきたいと思います。
いよいよ(と言っても、たかが…ですが)、「しぇあーど」も伊丹に生まれて、この春には6年となります。
先ずは、これまでに関わり繋がりあえた皆様へ深く感謝したいと思います。
そして、冒頭にも記したとおり、年頭に「気分一新」、初心を思い起こし、一年間頑張っていきたいと思います。
初心と申しましても、この間、この活動(及び事業)の目的は変わらず、「誰もが望む街で暮らしていける地域創り」である訳で、なかなかその目的は果たせているとは言い難いのですが、そんな理念・理想は持ち続けながら、足らずの力を創意工夫により、できるだけ広く繋がる力へと変えていきたいと思います。
只、この活動(というよりも、皆さんの暮らし)に大きく関わる法・制度も見直し(大きな・抜本的ということの筈でしたが)の次期を迎えるということで、またもや制度に翻弄される一年になるようにも思います。
制度による部分が多くを占めるしょうがい者・児といわれる方々の暮らしですが、今年は、より、それのみではない「暮らしの支え」もつくっていかなければと考えています。
また、制度の見直しの間(昨秋から再三に渡り、その議論が行われています)に垣間見える「制度主体の暮らし」への傾倒には、充分な注視と警笛は鳴らしていかねばと思っています。
このことは、こういった活動(事業)を担う者にとっても言えることで、制度によって支えられる暮らしではなく、人の暮らしにに寄り添う支援が可能なシステム作りを目指していきたいと改めて感じるところです。
具体的には、改めて、非営利活動の強化(と言うか広がり)し、「業(支援サービス)」のみの繋がりではないカタチを模索し形成していきたいと考えています。
また、人材の育成と発掘(?)も積極的に行い、繋がりの範囲を広げていきたいと考えています。
そして、これまでの暮らしの隙間への支援といった活動主体から、必然と迫ってきた「暮らしの場」への支援にも、一層の力点を置かねばと考えています。
そういったことを考えながら、残り3ヶ月余りの今年度を経て、今年及び次年度への希望を膨らませていきたいと思います。
本当に足らずだらけですが、今年も宜しくお願いいたします。
と言っても、何がどう変わるといったこともないのですが、気分だとか、思い(等)だとかも一新(初心に返り)して、がんばっていきたいと思います。
いよいよ(と言っても、たかが…ですが)、「しぇあーど」も伊丹に生まれて、この春には6年となります。
先ずは、これまでに関わり繋がりあえた皆様へ深く感謝したいと思います。
そして、冒頭にも記したとおり、年頭に「気分一新」、初心を思い起こし、一年間頑張っていきたいと思います。
初心と申しましても、この間、この活動(及び事業)の目的は変わらず、「誰もが望む街で暮らしていける地域創り」である訳で、なかなかその目的は果たせているとは言い難いのですが、そんな理念・理想は持ち続けながら、足らずの力を創意工夫により、できるだけ広く繋がる力へと変えていきたいと思います。
只、この活動(というよりも、皆さんの暮らし)に大きく関わる法・制度も見直し(大きな・抜本的ということの筈でしたが)の次期を迎えるということで、またもや制度に翻弄される一年になるようにも思います。
制度による部分が多くを占めるしょうがい者・児といわれる方々の暮らしですが、今年は、より、それのみではない「暮らしの支え」もつくっていかなければと考えています。
また、制度の見直しの間(昨秋から再三に渡り、その議論が行われています)に垣間見える「制度主体の暮らし」への傾倒には、充分な注視と警笛は鳴らしていかねばと思っています。
このことは、こういった活動(事業)を担う者にとっても言えることで、制度によって支えられる暮らしではなく、人の暮らしにに寄り添う支援が可能なシステム作りを目指していきたいと改めて感じるところです。
具体的には、改めて、非営利活動の強化(と言うか広がり)し、「業(支援サービス)」のみの繋がりではないカタチを模索し形成していきたいと考えています。
また、人材の育成と発掘(?)も積極的に行い、繋がりの範囲を広げていきたいと考えています。
そして、これまでの暮らしの隙間への支援といった活動主体から、必然と迫ってきた「暮らしの場」への支援にも、一層の力点を置かねばと考えています。
そういったことを考えながら、残り3ヶ月余りの今年度を経て、今年及び次年度への希望を膨らませていきたいと思います。
本当に足らずだらけですが、今年も宜しくお願いいたします。
2009年1月6日 李 国本 修慈