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放課後活動を考える

障害放課後クラブ
「印旛学童クラブ・あかとんぼ」と「千葉放課後連」について

掲載日:2002年6月8日
文責:NPO法人あかとんぼ福祉会理事長
千葉放課後連事務局長 松浦俊弥
(千葉県立四街道養護学校教諭)


1. 「あかとんぼ」の概要

  1. 運 営 特定非営利活動法人あかとんぼ福祉会
  2. 所在地 千葉県佐倉市土浮780番地
  3. スタッフ 正スタッフ2名 パートスタッフ10名
  4. 理事会 理事長 理事2名 監事1名
  5. 会員数 29名
  6. 利用定員 15名(1日)
  7. 利用対象 千葉県立印旛養護学校(知的障害養護)小学部から高等部児童生徒および近隣小学校特殊学級児童
  8. 運営日数 約240日(年間)
  9. 運営日 毎週月曜から金曜(年間を通して日・祝・土・年末年始は休業。土については9月以降、1日保育を開始の予定。休業日でも希望があれば個人的に対応。盆の期間は運営) 
  10. 運営形態 学校のある日は放課後保育(おおむね午後2時30分〜5時30分まで。延長あり)。長期休業中は朝9時より午後5時まで(延長あり)。
  11. 会費
    A会員(毎日保育)16000円(月額)
    B会員(月9回利用)10000円(月額)
    準会員(レスパイト対応)2000円(1回の放課後保育につき)
    ※ 長期休業中の利用は1回につき1000円の追加料金
  12. 送迎
    印旛養護まではワゴン車2台で迎えに行く。その他はボランティアが小学校よりあかとんぼまで送迎。迎えは各家庭ごと。希望により実費で家庭まで送り。
  13. 運営費
    年間運営費約1200万円(自治体補助金約600万円)
  14. 活動内容
    放課後保育の場合、おやつ、休憩、散歩、遊び、個人学習など。決められたカリキュラムはない。全体で公園に行く日、など、予定はあるが、個人の希望を聞いてそれを優先。外出したくない子どもがいれば、屋内でケア。長期休業中にはできる限り社会学習を中心に対応。公共の交通機関等を利用して動物園に行ったり、近くのデパート、スーパーなどへ出かけたりしている。

2 「あかとんぼ」の設立過程

1997年7月
印旛養護教員有志が、児童生徒の放課後や長期休業中の生活の場を作れないか、と準備を始める(他都道府県同施設の見学、文献研究、役所回りなど)。
1997年9月
印旛養護保護者向けに意識調査を実施。小学部の保護者からは回収率が9割を超え、そのほとんどに「子どもたちの放課後休日生活の場が欲しい」との強いねがいがつづられていた。意識調査結果をまとめ、それを基に校内で説明会を実施。多くの保護者が集まり、「作る会」設立に向けての気運が高まる。
1997年10月
千葉県印旛郡印旛村の公民館で「作る会」を旗揚げ。保護者、関係者の参加が30名を超える。印旛養護教員が中心となる形で、翌年4月設立を目標に、「作る会」に加わる保護者が作業を分担して活動を進めることを決定。
1998年4月
印旛村内の知的障害者通所更生施設の一室を借り、「印旛学童クラブあかとんぼ」の開所式を挙行。村長等が来賓で出席。当初スタッフ3名、1日の保育定員7名。
1998年5月
千葉県佐倉市土浮の農家裏賃貸一戸建てに移転(2階建て・2DK、風呂、トイレつき、家賃月額4万円)。同時に中古の8人乗りワゴン車を購入し、印旛養護学校への送迎に利用。
1999年7月
夏季休業中の利用希望が増大したため、現状の施設での夏休み保育が難しくなり、印旛村中央公園内にある公共の空き施設を借りることに。村の許可を受け、無償で40日間、広占有の建物で保育を行う。
1999年9月
千葉県知事より特定非営利活動法人格(県内で13番目)を認証される。法人格の認証を受けた段階で、地元の佐倉市が補助金交渉のテーブルにつくことを認める。
1999年12月
利用希望者が増大したため、施設の移転を検討。同じ地区内にある古い空き農家を月額1万円で借りることに。それまでバザー等で積み立ててきた200万円を使い、屋内をバリアフリーに改造。
2000年4月
新施設に移転。敷地300坪、建坪約100坪、築150年の農家。1日の定員15名、スタッフも1日に8から10名がはいることに。同時に周辺市町村から補助金の交付が始まる。
2000年5月
郵政省(当時)から10人乗りワゴン車の寄贈を受ける。
2001年4月
日本財団より車いすリフトつきワゴン車(8人乗り)の寄贈を受ける。

3.「千葉放課後連」について

 あかとんぼが98年4月に誕生する前にも、障害児者全般を対象にした地域的な小規模レスパイトケアや、児童入所施設や障害者通所施設を運営する社会福祉法人が他サービスの一環として、障害児をケアする事業は存在していた。

 しかし、あかとんぼは在宅介護支援や保護者(母親)の就労支援(留守家庭児童対策)だけでなく、「家庭、学校以外の地域における第3の生活の場であって、子ども同士が大人のケアの下で、友達集団、仲間集団の中で育み合える経験を」という願いを有しながら設立された。

 成人と渾然一体となった施設でのケアや、地域を離れた大きな施設の中で受けるケアは、在宅介護支援や留守家庭児童対策にはなりえても、子ども自身の発達を考えたとき、それを疑問に思う保護者は千葉県内にも少なくなかった。2000年度に実施された全障研放課後グループの全国実態調査でも、障害児放課後休日保障を定義する3要件として「レスパイト」「就労支援」「子ども自身の発達支援」がうたわれている。
 あかとんぼの誕生がマスコミ等で大きく報道され、県内各地で同様の願いを有していた障害児の保護者や養護学校教員が見学に訪れるようになった。

千葉県は今でこそ無党派女性知事が誕生するなど、新しい風が吹き始めつつあるが、以前はその「保守的な風土」から、福祉後進県として有名であった。さらに印旛村や佐倉市は、千葉県にあっても昔ながらの城下町、農村地帯ということもあって、特に障害児者福祉への理解は遅れ、地域での偏見や差別も珍しくはなかった。

その印旛村、佐倉市で、当時の千葉県としては画期的な「障害児放課後クラブ」が誕生した、というニュースは、他地区の関係者にとっては非常に大きな刺激となった。あかとんぼを見学し、設立までのノウハウを学んだ保護者らは、地域に帰り続々と「障害児放課後クラブ」設立の準備を始めた。

99年8月の段階で、あかとんぼのほかに、松戸市、八千代市、我孫子市、鎌ヶ谷市にクラブが誕生し、この5団体が「千葉県障害児の放課後休日活動を保障する連絡協議会(通称:千葉放課後連)」を設立した。
同年10月には千葉放課後連が県議会の各会派と懇談を実施、翌2000年5月には県障害福祉課と懇談を行い、同年11月に県は「障害児の放課後を考える連絡会議」を庁舎内に設けた。これは千葉放課後連が障害児放課後クラブの要件として提唱していた「レスパイト」「就労支援」「子どもの発達支援」を受け、障害福祉課、児童家庭課、教育委員会特殊教育室が横のつながりを形成する千葉としてはこれも画期的な組織となった。

2001年3月に千葉県知事選挙が行われたが、その際には5名の全候補者に千葉放課後連より公開質問状を送付し、障害児の放課後活動に対する見識を尋ねた。その回答を千葉放課後連広報誌やインターネット、メーリングリスト等で公開した。

中でも具体的な回答を示した堂本暁子候補(現知事)が当選し、同年7月に千葉放課後連は県知事と懇談を行うことになる。その席上で知事は障害児放課後活動への補助を約束し、2002年度には新規事業「在宅心身障害児者一時介護助成制度」として総額4800万円に上る障害児放課後クラブ等への予算が決定した。

現在千葉放課後連には放課後クラブ8団体以外にも地域的な小規模放課後サークルやレスパイトケア団体などが加盟し、相互に連携を取りながら更なる活動の発展を目指して活動を続けている。

4.現状の問題点と今後への課題

(1) 運営費の悩み

 千葉県内では県の補助制度も決まり、市町村から単独補助を受けているクラブもいくつかあるが、総じて運営費不足には悩まされている。千葉県の放課後クラブは原則として障害の程度や種類により利用を制限することはしていない。従って、多動傾向のある自閉症児や重度重複障害児も当然のごとく受け入れている。
 そうなると問題はスタッフの人件費であり、子ども1人から2人に対し1名のスタッフを、と考えると、年間を通せば莫大な経費が必要となる。運営費不足に悩む団体では、ボランティアの多用や、時給500円で仕事を頼む、ある種有償ボランティアのような形で人手不足を補おうとしているが、経済が活性化していない現状ではなかなか難しいところである。

 バザーや民間財団からの助成金でとりあえずは急場をしのぐことはできても、恒常的な解決策にはなっていない。いち早く望まれるのは、学童保育(放課後児童クラブ)のような国としての法制度上の位置付けである。

(2) 場所の悩み

 千葉県内の都市部では常に活動場所の悩みが尽きない。あかとんぼのように周囲が農村地帯で、家賃も比較的安い地区であれば、賃貸の一戸建てを借りて活動することも可能だが、例えば松戸市の放課後クラブは市街地に位置するため、以前使用していた施設(賃貸一戸建て)は、通常は月額家賃14万円のところを大家さんの理解を得て半額に近い形で借りてはいたものの、年間の運営費においては家賃が大きな割合を占めることとなった。

 また、身体活動が活発に行えることも「子ども発達支援」としては必要な条件の一つとなり、近くに公園がある、自然がある、雨天でも屋内で遊べる広いスペースがある、そのような「都合のよい」活動場所を見つけるのも難しい。

 学校の余裕教室利用、という選択肢もあるが、障害児放課後クラブ本来の願いからすれば、「家庭、学校以外の第3の生活の場」であることが望ましい、とは思う。しかし、上記のような現状がある以上、自治体が無償で、または安価で貸してくれる、安心して遊べる広い校庭がある、雨の日には体育館が使える、など、種々の好条件を備えるこの選択肢を一概に排除することは難しい。余裕教室(小学校、養護学校)を利用した障害児放課後クラブは千葉県にはすでに2箇所あり、また全国各地からも同様の実践が報告されている。

(3) 障害児放課後休日活動保障に対する周囲の理解

 千葉県内では今でこそ社会的な認知を受けつつある障害児放課後活動であるが、あかとんぼが活動を開始した前後は、自治体、地域、学校関係者、そして障害児の保護者自身からさえも正当な評価を受けることは少なかった。

 地元の市役所に支援を要請すれば、返る言葉は「健常児の学童保育でさえ整っていないのに、なんで障害児の学童保育に金を出す必要がある」「障害児のお母さんたちはそんなに楽をしたいのですか」というものであり、学校関係者からは「事故が起きると責任問題なので、子どもの送迎は門の外でやって欲しい」と突き放され、「統合教育」を進める団体と名乗る障害児の保護者からは「なぜノーマライゼーションの時代に障害児だけ地域で隔離するような施設を作るのか」と抗議を受けた。

 障害があってもなくても、子どもにはすべて「権利条約」を読むまでもなく、地域で遊ぶ、友達同士で遊ぶ、自由に遊ぶ、様々な権利が保障されている。そしてその保護者にも、子どもに障害のあるなしにかかわらず、1人の人間として生きる権利を有している。それが「子どもに障害がある」というだけで様々な制限を受けている中で、障害児放課後クラブは子ども自身にも、保護者自身にも、他と同等の権利を保障できるような存在となっている。

 そして、単に場を設定するだけでなく、特別なニーズに従った配慮がされてこそ「障害児放課後クラブ」なのだ、と考える。ただ預かる場があるからそれでよい、わけではなく、障害のある子どもたちがそこに通い、ニーズに応じた配慮を受けつつ、発達が支援される場でなくてはならない。

 ちなみに、あかとんぼは「すべての子どもたち」を対象としていて、障害のない子どものケアも希望に応じて実施している。「障害児を隔離」するという言葉は、あかとんぼにとってまったく適当ではない。

千葉放課後連関係者の願いは、学童保育における障害児受け入れ、共同保育所(北海道・つばさクラブのような)、障害児放課後クラブ、「全児童対策」事業、レスパイトケアなど、千葉県内にあらゆるソフトが形成され、利用者がニーズに応じて選択できるような地域社会になることを願っている。

(4) 今後の課題

 千葉県では社会的な認知も受け、補助制度も確立された障害児放課後クラブであるが、上記のような問題も残り、また県政に対する要望も、千葉県の度量を考えればすでに限界なのではないか、とする見方もあり、活動に先細り感がある。

 これはあくまでもあかとんぼ理事長としての個人的な考えであるが、今後は先にも述べた国の制度化に対する要求を、全国的な連携の下で進めていきたいと考えている。

 また、同時に障害児放課後クラブを「小規模社会福祉法人」として認可してもらう要求もすでに考えられている。これは放課後連・東京が都との話し合い過程で出した案であるが、「小規模通所更生施設」という新たな枠組みを社会福祉法に構築する策である。

 また、放課後クラブの運営に携わる保護者の願いは、卒業後の進路であり、事業所、作業所、通所・入所施設といった限られた選択肢に固執せず、障害児放課後クラブのように地域に根ざし、本人支援のみでなく、在宅介護支援なども目的とした守備範囲の広い新たな就労・生活の場を作り出していこう、とする気運がある。

 全国的にはすでに30年近い歴史を持つ障害児放課後休日活動保障ではあるが、千葉県での動きはまだ緒についたばかりで、今後も、固定観念に縛られることのない、柔軟な発想で子どもたちの未来を見つめていきたい、と考えている。


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