地域生活を考えよーかい

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障害児者支援の医療・教育・福祉の近畿ネットワーク(仮称)第1回勉強会

掲載日:2002年3月2日
文責:地域共生スペース・ぷりぱ
李 国本 修慈


 とりあえずは、本業であるぷりぱの業務の合間を縫って出かけた勉強会であったので、意義のあるものにするために、ちょこっと報告です。


 で、名称の通りの勉強会がありました。主催は関西医大の助教授で付属(でいいか?)男山病院の小児神経科医・杉本健男氏で、いわゆる学校内などでの医療的行為とかといわれることに風穴を空けようと(その他にも色々してらっしゃる)尽力されており、近辺(大阪北部をこれまでにフィールドとしてきたのもあって、けっこう親近感も覚える・・・男山・交野、枚方などなど)で活躍されているいうということもあって参加してみた。で、内容は以下。

 まずは会場の「あいほうぷ吹田」という、けっこう有名な「ハコ」で、そこの施設長から施設の説明があった。なんせ、先進の発想からできた「モノ」という説明がうなづけるほどの造り・・・で、その名も「障害者支援交流センター」というのが肩につきます。で、その内容が、知的障害者更正通所が40人、知的障害者デイサービスが15人、身体障害者デイサービスが15人、で、けっこう「おーっ」と思えたのがショートステイ枠をきっちり5人分とっていること。で、キレイな建物(新しいのであったりまえか)であったこともあってなかなか驚けました。で、その周囲の状況がよくわからなかった(そこに通う方達はグループホームからやってくるのか?などなど)のですが、そのハコには市が30億円かけたそーで、なにをおいてもこれが最もビックリ!!で、常勤NsにPT、OT、STもいる。けっこうこの部分には考えさせられた・・・のだが、これも吹田のおかーちゃんらの要望が実った・・・ということでした。そのカネで造ったモノは今後ずーっと維持費はいる(しかも莫大)な訳で、それを利用する人数は一定・・・ってなことを考えると、個人的には?であるが、まぁ、とりあえずはそんなセンター的(しつこいがカネのかからないセンターもあると思うが・・・)なもんがありぃの、周辺小規模事業所が活性して行く・・・というイメージかと思ったが、けっこう大阪府下では今年にも新たに「療護施設」(重心施設でないところがミソ?)がふたつもできるそーだ。どーも、「ぷりぱ」のよーなものはなかなかイメージできなさそうだった、特に「医療的」といわれる方々にとっては。

 で、内容のつづき。

 おおまかにはKSくんのおいたちについて、彼から学んだこと等をいろんな立場(主治医・関係医師・教師・親など)の方が発表していくといった段取り。

 で、問題としては、@.二次障害、A.保障されるべきである教育権(学内での医療行為の問題)、B.教育としての問題、C.今後の課題、などであった。

@ については我々のような重症とかといわれる方々をお相手にしてきたものからすると、よく経験することで、それをしっかりと周囲の人間(親もそう)がイメージするといったことの重要性・・・今まで「手」のかからなかった(変な言い方だ)方が、より重症になる(これについては藤岡Drも指摘されている)・・・といったことなど、と、それをとりまく体制整備・・・今後、より重症児(超がつく方等も)といわれる方々が増加していくといった意味から・・・が必要であるといったことなどが述べられた。しかも、主治医のみでなく医療他、諸々のネットワークの必要性(ここらは医療以外の分野がやいやい言ってた部分だが)にも医者が触れていたので、ここは感心(たいてい医者にはいいイメージのない自分としては、「おっ」と思えそうな医者がいました)しました。1970年代後半(だったかな)頃からの急激な医療の進歩による初期救命(出世時の)による超重症児が成人へと移行していく時期ということ、それは今後も続くということ、など。

A についてもこの商売(ぷりぱ)をしていると実感できる問題。で、ぷりぱのPCアドレスでさ参加しているメーリングリスト(医療ケアML)でも知れるようにどこの地域も学内での「医療的」行為には様々な制約があるようです。杉本氏曰く「校医を変える事!!」なんておっしゃってまして、実際に大阪府下ではどんどこ変化をみせているようです。と、小児神経学会などでも、全国ネットを構築の上、そのような問題にも取り組んでいるようです。

B についても、たぶん、ぷりぱスタッフみなさんなら、聞けば実感できるコト・・・(だと思う)で、いわゆる臨床上(科学的とか、医学的とか言う、僕もよく言う)、考えられない『コト』が、実際に障害児といわれる方々に相対していると感じられる(・・・てしまう)ということ。どーゆーことかと言うと「大脳の大部分が欠損(ほとんどといってもいいような)している方にも、なんとも豊かな感情表出がある」ということ。ここは、大事な部分で、例えば「脳死」などにも考える条件としての「医学的」などの完全なる支配の危険性と教育における可能性は間違い無くあるということ。ここは大切。でも、こんな仕事してると、例えば後から「そーやったん(大脳は皮質のみやったとか)」ってなことはよくあることで、ある意味、その人の生活の質(楽しさ)なんかを高めようと提供する仕事につくものとしては間違えては(医学的・・・がすべてである、とかの)いけない部分であると実感てきました。

C は、多くのみなさんが抱えている問題。感じたのは大阪府下でも、その先の選択肢は多くはないということ、で、すぐにひねくれた見方をしてしまう自分としては30億のカネで大センターなのか?という疑問はあったが、まぁ、それもおかーちゃんらが要望し続けたモノである・・・ということで、これでいいのか・・・、と思う反面、それを中心とした地域サービス(いわゆる多業種、他業者参入の)の活性がないと、おそらく「医療的」とかと言われる方々の選択肢は安定しないのではないか?、とか、いろいろ思ったところです。いやいや、そんなカネあったらウチらみたいなところに1億づつ振り分けたらけっこう継続性も活性化もあるなぁーとか貧乏根性の自分に気付きました。

 以上、そんなとこかな?。また秋にも第2回があるそーです。次回は是非、僕以外のスタッフさんに行ってもらいたいところです。医療的ケアーについてはぷりぱも色々と関係のある部分、で、その種類であるとか、本人(親もしくは後見人)との同意の上で行えるようには持っていきたい。

 と、なんで、看護婦(士)が雇えないか?と考えると、やっぱりコストである。なんで、医療職は高いのか?・・・、そんな問いかけは続ける必要があると考えます。と、言うより同じ方に援助(介助)するという意味であれば、あまり職種に関係はない(大規模施設等での多数人を相手にする上での担保的な意味はあるのかな?)・・・と思うのだが、ましてやぷりぱでは看護料なんかも取ってないし(と言いつつ取りたいところがあさましい、が)、その人に対する援助料を上げていくという発想で考えていきたい。これは支援費制度に関する支援費単価にも言えること。職種での(個人に対するサービス提供時の)単価差別はもーええやろう・・・という思いであります。

 で、なんにしても対人スキルの向上には努めないと商売人=プロとは言えません、ということで勉強しましょう。特に実践(現場)が大事です。でないと僕みたいな頭でっかちになっちゃいますので要注意です。

以上でごんす。


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