地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

地域で暮らすということ その1

僕が尊敬(でもないな、)とゆーか、珍しく、とっても親しみを感じれるしぇんしぇい(先生・・・あんまし先生という言葉は使いにくい・・・どーも、アホな代議士か医者のイメージが先行しちゃって)筑波大学の名川さんの書きモノです。

掲載日:2002年5月23日
文責:筑波大学
名川 勝
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 以前、児童・高齢・障害などの縦割りを越えて福祉に関する研究会をやろうと集まったとき、キーワードが在宅生活支援か地域生活支援なのかが少し話し合われたことがある。言葉の定義次第で重なる部分もあるにせよ、「地域」の方が「在宅」よりも広く、また在宅以外の場についても活動があり暮らしがあるのであってそれも支援したいと言うことで、とりあえずすんなり「地域生活支援」が採択された。しかし私たちがそもそも地域で暮らしているのかを考えると実は心許ない。地域が何を指すかも曖昧に思える。

 先日、肢体不自由養護学校高等部の生徒さんたちと話し合う機会があった。話題は地域での生活のようなことにも及び、彼らの遊び場にしても実に多様であることがわかった。ただいずれにしろあまり地元での活躍があるわけではなく、結びつきは希薄なようだった。まあ考えてみれば私たちだって若かりし頃にあまり地元の町内会に関わってはいなかったし、今もそれほど強く地域と交流してはいない。どこか家族社会学の本で読んだ気がするのだが、近年の家族の交流する地域、家族の意識する「コミュニティ」はかなり多様であって、料理なら料理の仲間、アウトドアならアウトドアのサークルといったように彼らのライフスタイルにより広がりを持ち、これが専ら家族の拠り所になっていることもあるらしい(さらに家族内でも個人化しているという指摘もある)。だから地元とはぜんぜん違う場所にアイデンティティがあったりもするのが今の時代のようだ。

 お分かりかと思うが、世間で地域生活支援という場合の“地域”は、おそらく“施設では無いところ”とか、あるいはゴフマンのいう“全制的施設(total institution)ではない暮らし”を指しているのであって、具体的にどのような生活をしたら地域なのかまで示しているわけではない。私たちが地域生活支援を主張するときに、その着地点である地域のことなど実はあまり考えられていない気がする。だから地域生活に移行した人たちが必ずしも町内会に参加しなければならないものでもないだろうし、ドブ掃除を分担して初めて地域に根付いたと考えなくても構わないだろう。もちろんそういう関係があっても良いけど、でも無いからといってダメだなあお前はと言われることもないんじゃないだろうかと思う。

 地域の消失が指摘され、地域づくり、まちづくりを志向する運動があるのは理解できる。隣家で虐待があったり孤独死があるのを気づけないのはやはり悲しい。ただ現代の私たちにまったく昔のようなご近所づきあいの復活を求めるのは難しい。地域生活支援の中でも、その人と住まう地域をそれぞれ考慮し、その人に見合った「自分らしい暮らし」を実現するお手伝いが出来ればと思う。


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