- ニューハンプシャー州
- 人口120万人
- 森と湖の小さな州
- 「自由か死か」がスローガン(なによりも人間の自由を重んじる)
- そして・・・アメリカで初めて知的障害者入所施設をなくした州
- 森と湖の小さな州
- ラコニア州立学校
- ニューハンプシャー州ただひとつの公立知的障害入所施設
- 1200人収容(1970年)
入所施設がなくなるまで
親と州政府専門家が相談して、障害をもつ人が地域でサービスを受ける権利が法律に(1975年)
しかも・・・こんな権利を保障
- 一人一人の必要にあったサービスの計画をたて
- 常に工夫された質がいいサービスを
- 最もあたりまえの環境で
施設職員を教育して地域のサービスへどんどん移動
そして、(あたりまえだけど)入所者は減りだした・・・
あたりまえに教育を受ける権利の訴訟もおこる(親+法律専門家)→勝訴(1979年)
ついに、施設縮小命令・しかし、解体命令は最後までだされず(慎重に・・)
施設閉鎖(1991年)→刑務所に転用
※施設と刑務所は同じ?ショックをうけた当事者がいましたが・・・
うまくいった理由は・・・?
- 親と専門家(弁護士、学者)が力を合わせた
- 行政職にまともな考えの人がいた
- 地域サービスのしくみ作り(まず南風を)
- なくなる半年前までなくなることは発表されない(北風は最後まで使わない)
- 職員の仕事も考えた(再教育による地域転換)
- 利用者も無理をせず、だんだんと地域移行
ちょっと考えなくてはならないところ
当事者は施設をなくす主役ではなかった(カリフォルニアとは違った)
これは、今では「大きな反省点」と現地の人もいっていました。
参考になるしくみ
- 施設予算を地域サービスに使えるようにする法律
- 施設経費は、地域生活費用の倍(一人あたり10万ドルvs5万ドル)日本では、30%の人が入る入所施設が70%のお金を使う(ほぼアメリカと同じですね)
- 「個人の予算」individual budget というしくみ
- いわゆる福祉サービス以外の費用でも、地域生活のために本人がどうしても必要と認められれば、支給される・・たとえば、どこで住むかのコスト(住居費)、人間関係をつくるコスト(交際費)、重度の人・働けない人の余暇活動のコスト(遊ぶためのお金)・・・地域生活支援費の考えかた。しかも・・州の予算全体の上限はあるが、個人の予算は、必要、と公平、だけが条件で、上限はない。
地域センターの制度による地域移行の問題点
- 本人主体でなく「まずサービス」となる危険
- →「当事者を一番大切にしている人はだれだろう?」
- 組織が役所みたいになる危険(非営利であろうとも)
- →地域のサービスと地域とは同じではない
- →大きな古い組織にはおなじみの問題
施設をなくすことが、
- 行政と親が中心に
- 当事者は主役ではなく
- 施設職員の再教育によりおこなわれたことの問題
地域にも元施設職員がいっぱいいて、彼らが、当事者運動を「ひっぱった」のだとか
福祉関係者の反省のことば
「改革は、できることを、できるところで、やる人が数多く存在することで行われる」
「実際の脱施設は、本当に小さな団体か個人が、『だれか』を施設からだすことで、実際の脱施設化の運動は動かされていった」
親としていろいろ考えたこと
親は、もっと勇気をもたなくてはならないのかも
親が変れば、ドミノ倒しが始まるのか?
でもニューハンプシャーの反省(当事者中心でないこと)もしっかりと施設をなくすための入所者と家族のエンパワメントは当事者と当事者運動を中心にこれから成人になる障害児を育て施設に入れないようにするのは親の役目である心ある事業者や当事者と手を携えて、信頼できる地域生活支援のしくみを作ろう。
自立した当事者と、新しい価値観をもった親と、利用者主体の考えをもつ事業者が手を携える。そして、世論と行政を味方につける。
「もう入所施設はいらない」というが・・・?「だれが」・「なんのために」いらないのでしょうか?
もうだれかに決められたり命令されたりするのはたくさんだ。
出発点は、「わたしは自分の息子をあたりまえに暮らさせたい」からはじめたい。
「わたしは、あたりまえに暮らしたい」人とつながって・・・
わたしは自分の息子をあたりまえに暮らさせたい。
わたしは、息子から奪わない
わたしは、息子からプライドを奪わない
わたしは、息子からお金を奪わない
わたしは、息子から選び、迷い、納得して危険を冒す自由を奪わない
わたしは、息子を守る
わたしは、息子のサポートを受ける権利を守る
わたしは、息子の自分自身を大事に思う気持ちを守る
わたしは、息子の生きる力を守る
わたしは、息子を変えることよりも、息子が彼でなくなることを強いる社会を変えたい
わたしは、苦しんでいる息子の仲間を見殺しにしない
わたしは、障害児の親という当事者であり、障害がない当事者であることを自覚する
わたしは、息子の最大の権利擁護者と最大の権利侵害者の可能性を自覚する
わたしは、わたし あなたは、あなた(しかし、かけがえのない あなた)
わたしは、息子が20歳になったら保護者ではない
わたしは、息子が20歳になったら支援者になりたい
わたしは、息子が20歳になっても、自分もまだまだ成長し本当に人生を楽しむ
わたしは、息子がいくつになっても、いつまでも息子と家族を愛する
そして、わたしは、息子とその仲間のために「意味ある遺産」を残したい
わたしは、当事者・支援者と強く連帯し、世論を興し行政を動かしたい
残された時間(人生)はそう長くはないのだから・・・
障害をもつ人ももたない人も生き生きと暮せるまちづくりを
全ての障害をもつ人に地域自立生活のためのバリアフリーとパーソナルアシスタンスを
わたしは、全ての人がその人それぞれのかけがえのない人生が保障される社会を望む
わたしは自分の息子をあたりまえに暮らさせたい
あなたは、どうですか?