ある日、いつものように娘の車いすを押していっしょに帰ってくれていた同級生の男の子が私に言いました。
「なあ、おばちゃん、ゆりあちゃん、歩かれへんし、しゃべられへんし生まれて来んかったほうが幸せやったんかなあ」私はドキッとしました。娘がまだ小さかったころに、私の頭の中に何百回も現われたり消えたりしていた迷いそのものだったからです。
障害を持っているということは「悪いこと」で、何とか少しでもそれを取り除いて「いい」状態にしてやることに意味がある、と考えると、娘は救いようがなく悪いところだらけでした。しかも今の医学ではほとんど回復の見込みがないと宣告されているのですから絶望的。
脳の発達にいいといわれる訓練を毎日続けても目に見える進歩はほとんどなくて、1歳をすぎてもお座りもはいはいもできる気配すらないのが現実でした。
無意識にではあるにせよ「障害がなくなるまで、娘の存在価値はないに等しい」と思っていた私。きっと抱っこをしていても「心ここにあらず」の冷たい抱っこだったはずです。
なのに、娘はそんな「だめ母」を我慢して、よく大きくなってくれたなあと思います。淡々と、自分のペースでゆっくりゆっくり生きてきてくれました。
そしてそんな娘に引っ張られ、療育施設や病院やさまざまな場所でのお母さんや子どもたちに出会い、話し、考えるうちに、少しずつ、少しずつ、私も変わって来られたみたいなのです。
今では「障害があってもなくても、生まれてここにいる、それだけで、十分意味がある」と自信を持って言えます。だって、一見何もできないように見える娘が、狭かった私の心を開いてくれ、たくさんの人々との出会いをくれ、人生を豊かにしてくれたことを、身をもって経験しているのですから。
・・・・さて私はその子にどう答えようか、ちょっと考えましたが、こう言ってみました。
「うん、そう思うかもしれないねえ。でもね、ゆりあは、お友達といっしょにいるときや楽しいことがあったとき、ほんっとうにうれしそうに、いい顔して笑うでしょう? あれはきっと『生きててよかったなあ』って思ってるからだよ」
そうしたらその男の子、にこ〜っと満面の笑顔になって「うん! そうやんな! 僕もそう思う!」って答えてくれたんですよ。
本当にあのときは、私もうれしかったなあ・・・。