地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

やっぱり施設はいらない

札幌市の燕信子さんが書かれた文章です。ぜひごらんください。

掲載日:2003年1月22日
作成者:札幌市 燕信子(48才)


双子でよかった。だって本人にわかりやすい情報がリアルタイムで入ってくるから。だからかずやは、しょうがいがあっても弟と同じ事をしたいと思うようになった。

かずやは身体と知的にしょうがいがあり高等部3年になる。双子の長男で、弟は健常と言われている。小さいときから弟の行動に、かずやと父・母はついていく。しゃべられなくたって、歩けなくたって、よだれをたらしたって、知的にしょうがいがあったって、水遊び・砂遊び大好き、子どもが大好き、一緒に遊ぶことが好き、一緒に散歩したり、歌ったり、お昼寝したり、お泊まりしたりが大好き。「弟と一緒の保育園に行きたい」「弟と一緒の学校に行きたい」「弟の友達と遊びたい」「弟の行っている学童保育所翼クラブに行きたい」。弟が自転車に乗れば自転車に乗りたく、サッカーやればキーパー、そりやスキーも大好き、キャンプにいけば寝袋で寝て、海も大好き、登山に行けば背負子で背負われて登山、お手伝い大好き、太鼓が大好き、とらや帽子店のコンサート大好き、音楽大好き、格闘大好き、女の人が大好き・・・そのたびに数え切れない人たちが、かずやの「弟と同じことがしたい」に手伝ってくれた。

一緒に家族で暮らしたことにより、双子ということで、同世代の活動がリアルタイムに情報として、しょうがいのあるかずやには入る。それをジーッと見て聞いて、理解することに時間や方法は必要でも、行動することに助けは必要でも、あとは弟と全く同じということを、同じ人間ということをいつも教えてくれる。弟は、何でも自分で決める。寄宿舎には入っていない。家が大好き。人が好き。楽しいことが好き。かずやも同じことが好き。

双子だったから、しょうがいがあるからといって、弟と同じことをしたがるかずやにだめとはいえなかった。私ができないことを子どもに求めることもできなかった。これからもそうだろう。

「発達のため、自立のため、訓練のためといいながら、結局自分たちは家族から捨てられたんだ」

12年前かずや5才、療育センターの看護婦さんが涙ながらに語ってくれた話が忘れられない。「わたしは、成人になったしょうがいのある人達と今でもつきあっている。彼らは、小さいときから母子入院して、そして本入院して隣の養護学校に通い、高等部は岩見沢の肢体不自由高等養護学校で寄宿舎生活をし、卒業したら肢体不自由訓練センターに入所、4~5年で出なければならないので、その後栗山の福祉村に入所して現在に至っていて、いわゆるその時代の肢体不自由児の超エリートコース。親はその進路が彼らにとって一番いい道と思って勧め、彼らも従ってきた。でも、彼らは今『結局自分たちは家族から捨てられたんだ』と言っている。」 療育センターに入院し併設の養護学校に行くことがかずやにとって一番いいと思っていた私は、涙がとまらなかった。今でもその言葉を思い出すと胸が苦しくなる。

しょうがいがある子どもの『発達のため、自立のため、訓練のため等』、親たちはいつでも一生懸命に考えてきた。でも一番肝心な本人の意志は、そのことのために無視されてしまっていたのだ。

なぜ、なぜその施設で暮らしているの?しょうがいがあるからなの?親が決めたからなの?

いろんな施設を見た。どこもきれいで立派な施設だ。共通していえることは個人に合わせることではなく、施設の体制、職員に合わせなければならないこと、どこも無気力で無機質な空気、あきらめているような沈んだ空気、喜怒哀楽が抑制された空気。そして職員からかわいがられることが幸せになることだと感じる空気だ。

演歌が大きく流れるその棟は、みんなが演歌を好きなのだろうか。お風呂は介助者に優しいお風呂だが、異性介助(女の人を男の介助者が入れる)もあり、流れ作業のように入浴するらしく、開けっぴろげでとてもゆっくりお湯に浸るところではなかった。這ったり、歩いたりできる人が鍵のある部屋の檻のようなベッドに入っていた。水分補給の時間で一人の職員が檻を下げ、すばやく這っておりてきたその男性は哺乳瓶で水分をとっていた。なぜ檻の中に入っていて、なぜ哺乳瓶なのだろうか。壊れたおもちゃがプレイルームにちらばっていた。中学生くらいの男の子がうろうろ歩いている。職員が来て「訪問教育のない日はこうやっておもちゃをこわすんですよ」と言ってひろっている。わかっているのなら何とかすればいいじゃない。散歩に行くとか、楽しいことを企画するとか。廊下に座布団をひいてちょこんと座って職員や私たちにニコニコと笑いかけているおばあちゃんがいる。なぜここに入っているのだろう。やたらと、私たちに話しかけ、名残惜しそうに見送りに来てくれた中年の女性がいた。なぜここで暮らしているのだろう。一部屋に大人が7~8人寝かされている部屋では、ずーっと発作が続いている人もいた。見学の私たちの目の前で、部屋から下半身が裸の成人の男の人と女の人が這って一緒にトイレに行く光景も見た。とてもちいさいのに、もう入所している子もいた。鍵のかかった棟があった。その部屋には、うろうろ歩き回る人、話しかけてくる人がいた。話しかけられるほどしょうがいは軽いようなのに、なぜ鍵のかかった部屋に入っているのか不思議だった。自分の子どもの将来もこんな大人達のようになるのかと思った。とても人間の生きているところには思えなかった。

しょうがいのある人は、こんなところでも我慢しなければならないのだろうか?私ならいやだ。絶対にいやだ。はきけがした。絶対こんなところにかずやをいれるもんかと強く思った。

親の体力と気力のぎりぎりまで頑張るから、ある日突然施設を希望する親になる

24時間在宅医療で親が支えている知人がいる。病院ではなく家での生活を望んだ家族は、母親が睡眠時間も少ない中で365日頑張っている。無呼吸になる子どもを、ボランティアさんをたくさん集めて育てていた友人もいた。厚いガラスも割るほどの強度行動障害のある、大きくなった息子についていけない親もいる。こんなに頑張っている親たちを在宅福祉は本当の意味で助けてくれない。親の体力と気力のぎりぎりまで頑張るから、ある日突然施設を希望する親になる。二者選択しかないのだ。

 24時間介助者なしでは生きていけない全身性重度身体しょうがいの知人がいる。彼によると、札幌では公的な介護をあれこれあわせ1日14時間しか保障されていないとのこと。あとの10時間は自分のお金で、またはボランティアを使えと言われているらしい。この人達が在宅で生きていけないような制度にするのは、国や自治体が施設に入れと言っているのと同じである。

しょうがいがあったて同じ人間。あたりまえに生きることを誰も否定はできない。本人に寄り添って考えてくれる人が欲しい。あたりまえに地域で生きていくサービスが欲しい。弟と同じように(自由にしかし厳しく、だから生きがいがあり)生きられるの?教えて欲しい。

そんな時、地域療育等支援事業という名の力強い助っ人が現れた。大久保さんだった。まず、かずやが大久保さんを選んだ。彼はサポートでは徹底的につきあってくれる。自分のお金でゲームをすることに楽しくつきあってくれる。やりたいことを無色でサポートしてくれる。ケアーマネージャーをしてもらった。現在、ケアマネは他の人に委ね、かずやの意志を伝える役としてサポートしてもらっている。地域療育等支援事業に、サポートのいーな・いーずに、かずやも家族も助けられた。つい最近かずやに困っていることを聞いてくれたら『母さんが怒ること』とのこと。反省。このサービスが家族の中に入ってきてくれた。かずやの人権を守ってくれる人が現れた。この事業があることに心から感謝したい。親や家族だけで考えなくてもいいと思ったら肩の力が抜けた。今度は弟の将来、自分たちの健康や老後を考えられる隙間が少し出来た。コーディネーター事業ができて、不安を持ちながら生活するのではなく、楽しく家庭生活が続けられそうだ。

かずやは、これからも、街の中で、仲間と、働き、楽しみ、暮らしてほしいと思っている。親ではあるけれど、力の上下関係のない人間同士の関係になりたい、いつでも子どもの幸せを願い無償の愛を持ち続けたい、あたりまえの親子関係になりたいと思っている。


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