地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

一人ひとりが自分らしく暮らせるまちへ
ノーマライゼーション&支援費フォーラムin西宮の感想

掲載日:2003年2月3日
作成者:李国本修慈


 ということで、全国でも福祉先進地であるといわれる西宮でのフォーラムに参加した感想です。
 フォーラムの目的は、いわゆる極普通のあたりまえの暮らし(生活)を支援費制度を(も、か?)活かし市民みんなでつくりあげていこうというものであるということで、そんな説明からはじまりました。

 まず、北野誠一さんの講演から始まりましたが、ノーマライゼーションの説明・定義、自立生活の定義にいわゆる権利擁護の必要性が語られました。このあたりはこれまでに北野さんが多くのところで語ってきたもので今回は省略です。

 で、やっぱり今回のホームヘルプの上限問題、これらついて述べられたことと、それに対しての私的感想を少し・・・です。

 まずの問題として北野さんが自立生活という言葉の定義とするところの根幹である「コンシューマー・コントロール(当事者主導)」であるべき施策決定が、今回なんの協議(当事者団体等と)もなく突如として行われたことに対して非常に強い批判と指摘がなされました。

 このことは「ホームヘルプの上限問題」のみでなく、いわゆる「支援事業一般財源化」の問題にも通じていることを『市町村生活支援事業及び地域療育等支援事業の一般財源化について』の小論で的確に述べられているように思いました(この資料については必要な方はコピーしますね)。

 これは我々もずっと注目していた「新障害者基本計画」について、その懇談会(新しい障害者基本計画に関する懇談会)の審議の中で、なんのチェックもなく、これも我々が最も大切であるとしていた「身近な相談支援体制の整備」の内容が書きかえられているということでした。

 ようするにこれまで整備してきた2事業(市町村生活支援事業・地域療育等支援事業)が財務省とのやり取りなど(この等…が大事かな?)も含めて、その方向を転換したということ。

 ここで北野さんは、その事業を一般財源化することで全国の市町村に普遍化するといった国の主張を一刀両断に「それを見捨てたということである」と指摘してくれています。

 理由として、「そうであれば、この2事業の名称が今後10年間の方向性を定める新障害者基本計画から抹殺されることなどはあり得ないはずである」と言われています。

 おそらく(間違いなくと言っていいんでしょうね)その通りであると思うのと、このようになった要因として、いろんな力(多くは既得権益というものでしょうか?)が、ここに向けられたと言えるかと思うのですが、続いてせんだっての部局長会議でも示されたという相談支援体制図(平成15年度以降)にもある「障害者地域生活維持特別モデル事業(身体・知的・障害児の総合的な相談の先駆的事例、平成15年度:77箇所・15年度予算5億7,750万円)」について、それが示された昨年の12月20日の予算の内示、同26日の事務連絡文章から、このモデル事業ができあがった説明がなされました。

 その説明として、この事務連絡(12.26付け…この資料もご用命下さいね)でのモデル事業の説明は至って明確にこれまでの支援事業が担ってきた(とは言えないか…、)というか、担うべき事が記載されているということ。

 それはどういうことかー北野さんは以下のように述べています。

 『ここまで見ればもうほとんどすべてが明白である。つまり厚生労働省は2事業の予算取りに失敗しただけでなく、方向転換をしたのである。何とか2事業を死守するのではなく、新しい「モデル事業」なるものでお茶を濁して、2事業は一般財源化して、流してしまったのである』。

 と、いかにも明確・・・というか、その程度の事業価値ということなんでしょうか?厚生労働省価値観では…。その後、多くの市民の声が大臣等宛へと全国から送られていることはご存知のとおりです。

 そして、北野さんは精神障害者生活支援センターのみが一般財源化されていない矛盾についても鋭く指摘されています。

 さまざまな矛盾点や問題点について北野さんは経済財政諮問機関がさかんに言う財政分権=「国庫補助の廃止・縮減」の中の資料「国庫補助については廃止・縮減を図って行く」「国庫補助金の内、補助率が低いもの(3分の1未満)又は創設後一定期間経過したものについては、廃止又は一般財源化などの見な直しを行う」を例に、この上記事項に、「支援2事業だけがあてはまるものではない、すなわち何らかの他の意図によって狙い撃ちされたとしか考えようがないのだ」と的確にのべられています。

 ここいらあたりをしっかり考えてみるといろんなことが見えてきます。一般財源化という削減行為。それがどのような意図で行われてきたのかも・・・。

 精神医療における医療会、または障害福祉における社会福祉法人会の圧力に他ならないのは僕が言うまでもない…と言うより、僕もしっかり言うとかないといけない。未だに人を食い物にしている医療屋に福祉屋を知っている自分はしっかりと言わなければと思います。

 そして、今も続くホームヘルパーの上限問題についての大きなうねりについても「私達はどのような制度の下に何を展開しようとしているのか」が問題であると北野さんは述べられています。

 これは後にも出てくる言葉であると思うのですが、上田晴男さんの言う、この財政の中での「優先順位」、社会保障といわれるモノのいわゆるコンセンサスはどう得られるのか?、ということを考えました。

 そのひとつの指標として北野さんは数年後の日本の人口比率での障害者といわれる方及び高齢者の割合(が人口の多数を占めるということ)、上田さんは現状での介護保険受給者数と全障害者数との比較(が同等でもあるということ)などを挙げられていたが、新の意味での(心の…とでも言うのでしょうか?)コンセンサスは得られるのだろうか?…と感じてしまうのですが、それでも…というのがこのフォーラムの目的でもあったと思います。

 それから続いて「支援費制度のこれから」と題して企画課長の足利さんが来る予定であったのですが、やっぱりこんな状況下ということで欠席、代わって大塚専門官がいらした上でお話しされました。

 当然ながら厚生労働省職員としての釈然としない(できない)説明の中に、しきりに(でもないか?)出る謝罪の言葉、それ以上に当人(大塚さん)の落胆ぶりというか、落ち込み具合が見てとれました。

 そして、自らのこれまでの言動に行動、ホームヘルプに支援事業、ケアマネジメントの重要性を訴えてきた事などにも触れ、先の研究班によるグループホーム1万ヶ所・10万ヶ所プランについては「幻想を…」といった言葉まで出てしまってました。

 同情(してる場合でもないんですが)してしまいそうなくらいの姿でした。

 ただ、終盤のシンポジウムでは「まけないぞ」との言葉も出て、多くの方の共感を誘ったようでした。ここいらにも「優先順位」や、「新に必要なもの(どっかで聞いた言葉だ)」が示せない、もしくは受け入れられない世界が広く横たわっているんだと実感するところでした。

 そして話しは飛び飛びとなって、午後のシンポジウムでは、西宮市支援費準備室室長小川さんからの『ガイドライン』『相談申請から支給決定の流れ』等西宮市のシステムの説明(西宮市のガイドラインなどについては以前にも当サイトに記載しましたので省略です)がありました。

 その他、印象に残った言葉などとしては、メインストリーム協会・玉木さんの「地域生活に妥協はない」と言った言葉。

 そして前述しました上田晴男さん(ニし宮のしょうがい福祉をすすめるネットワーク)の「何があっても地域生活を進めよう!」、これにつきるかな・・・と感じました。

 そしてもう少し上田晴男さんの言葉を借りると「こんなこと(一般財源化に上限問題)があっても、ぶれずに行くんだ」という言葉に妙に気持ちが打たれました。

 今、特にこんなご時世で、いったい何が重要で、なにを優先して取り組んで行くのか?、それをしっかりきっちりとこの障害福祉というフィールドのみではなく、広いエリアでしっかりと語られているのか、伝えられているのか?ってなことを感じるのと共に、しっかりものごとを見極めていかなければと、そこに力を注いでいかなければと改めて思う1日でした。

 そして最後の最後にユキさん(大熊由紀子さん)が、こんなことになった実態をチラッと暴露してくれました。ここもみんなが見落とさず・・・です。

 そんなんでおしまい、です。


この文書に対する、感想、意見、各種問い合わせ

【地域生活を考えよーかい】
トップページへ戻る