地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

〜支援費制度下における学校や事業所のあり方について〜

せんだって、伊丹養護学校でお話しした内容です。

作成日:2003年8月26日
掲載日:2003年8月31日
文責:李国本修慈


 まず、今回のお話しのテーマが、支援費制度下における学校や事業所のあり方ということですが、なかなか難しい・・・というのが実感で、制度が移行したということで、突如(あり方が)変わっていく学校、もしくは我々事業者ということでもないようにも思います、当然ながら・・・。

 なんとなく言えるのは、当人にとって家族以外でもっとも近くにいるのは教師みなさんかなぁと思ったりしています。
 今回の支援費制度への流れは福祉基礎構造改革といった中での変革(改革とも言いますが、あえて・・・)、福祉という枠の中での改革であるのですが、その中でのみの改革ではないといえる(いいたい)かと思います。

 同じ時期にして、例えば教育という分野(すぐに分野で分けてしまう習癖・・・よくないです、なかなかリンクできているようには思えない福祉行政・教育行政?なんて思ったりしています)では「特別支援教育」という言葉が使われだし、「インクルージョン」なんていう言葉も普通に(でもないかしら?)使われ始めました。

 それぞれ「福祉」「教育」の分野での改革がなにがしらの動きを見せ始めた中で、我々も一事業者ということのみでなく、一市民としての構造改革(後にも出てくる規制緩和と地方分権とかいうこと以上に、意識の中での構造改革)の意識が必要であると感じています。

 もちろん、双方が縦割りの関係でなく、いわゆる連携・連鎖をもって作用していく・・・といったカタチ作りが、学校にも、事業者(それ以外の地域)にも必要になってくるものであると感じています。

 そんな思いから我々はこれまでに特定非営利活動として、いわゆる障害者(児)と言われる方々への「地域生活支援」という活動を行ってきました。

 少し我々が行ってきた活動をご紹介いたしますと、ひとつに「レスパイト=介護休息」という言葉に示されるサービスがあります。我々が活動を始めた頃には、この「レスパイト」といった意味合いが強く、ようするに「家族支援」、たとえば当事者にとっての母親(多くの場合が当事者さんの生活は母親が担っていることが多かった)に代わっての「一時預かり」であったり、「送迎(学校や作業所、通所施設など)」であったりということでした。

 そんな活動を通じですぐに思いつくことは、「その人の生活は家族のみ(しかもは母のみなんてカタチが多い)によって支えられている」ということや、「本人支援=当人の生活権?はどうなっているのか」ということでした。
そして、その実践、たとえば「ガイドヘルプ」であったり「ホームヘルプ」を通し、その当人に対してのサービス提供が結果として「家族支援になり得る」ということがわかってきました。

 そして全国で徐々に広まった動きとしての「本人支援=パーソナルアシスタント」を活動の軸とし、いわゆる自己決定力の弱い方々への支援(少し偉そうな言い方です)の必要性が語られ今、制度として開始となったということです。

 そこには明らかに、なにがしかの(これまでなかなかそれを権利として認知されにくかった歴史があって)権利があり、それを保障しよう(されよう)とする力がようやく作用し制度となったと言えるように思います。

  1. 支援費制度について・・・いわゆる「利用契約」制度ということで介護保険でみられる契約サービスで、制度上は「選べる(はず)」ものではあります。介護保険との違いは、介護保険の財源が保険で大きくまかなわれることと違い、支援費制度はその多くを「公費=税金」でまかなわれるということ。それから介護保険では要介護度といったランクを定め、支給金額も決定されるということに対して支援費制度では、それぞれの障害者(児)に応じた必要な支援費(お金)が支給されるということ。そして、後にもお話しとなって出てくると思うのですが、介護保険では「ケアマネジメント」がその根幹を担うというシステムになっていますが、支援費では、それ(ケアマネジメント)が制度化されなかったこと、などが挙げられます。ちなみに介護保険は介護保険法という法律で一元化されているのに対して、支援費制度は「身体障害者福祉法」、「知的障害福祉法」、さらには「児童福祉法」などによって構成される制度であるということ、ここいらもかなり混乱の要因となっているところです。
  2. そして、支援費制度の理念ということですが、ここいらはみなさんがご存知の通りの「ノーマライゼーション」の実現、極々あたりまえに保障されている(はず)の「生活権」の保障であるかといえます。そして、この制度のキーワードは「地方分権=市町村主体」であり、「規制緩和=民間・その他の事業者参入による選べるサービスの確立」といったところであったといえます。上記二点のことは、我々が地域で暮らす上にも最重要なことであり、それら二点の考えを活かすことが障害者市民のみでなく、我々その他の市民にとっての街づくりに必須な考えであるかといえると思います。その前に「障害者市民」という言葉によって、我々との区別するというのもおかしな表現であるとも考えますが・・・。
  3. 支援費制度が始まるまでに・・・介護保険が始まろうとしていた時期に比べると、あまり騒ぎはすごくない。ここいらになんやかんやといろんなことを感じるのですが、たとえば高齢者には多くの方が「いずれなる」とお思いなんでしょうか?、また、障害者には「ならないはず・・・」というか、そんなこともイメージすることも無いかもしれません、と思ってみたり。しかし、そういう問題でもなくって、如何に自分でない他者(他人というと変な感じなんで)のコト(権利とか言うかしら?)をイメージできるのかしら?我々と思ったりしています。で、支援費制度が始まるまでにいろんな曲折があったりで、自治体によって大きな違いがあったり、あまりの情報提供不足があったり、ましてや支援費を受ける当事者(多くは扶養義務者=家人・親)が「利用の仕方がわからない」、「別に利用しなくてもいいわ(できないわ)、「実際にサービス提供してもらえる(この表現も変だ)事業所なんてない」なんて声が後を絶たず、で始まったように感じます。このあたり「利用の仕方・・・」に関しては行政等(等は我々を指します、かな?)の情報提供不足であったり、「別に・・・」という点に関しては、実際に利用する当人の意思は尊重されているのかしら?、多くは扶養義務者(後でもお話ししたい成年後見人とは違う)が、自己決定力の弱い方(知的障害といわれる方々)にとっての負の決定をしている(一概に葉言えないですが)のではないか?てあるとか、「実際に・・・云々」という点では、サービス基盤が整備(これ、一応市の責務、市は県が・・・と言うし、県は国が・・・と言うし、しっかりそれ(自らの不備=基盤整備)を理由に支援費を出さなくても(支給決定)いいようなしくみにもしちゃっています。特に医療的ケアを要する方々にとっての支援費制度利用は困難極まりなしといった感すらあります。理念は掲げたが、品(サービス提供量)もない中スタートしてしまったといえる制度のようです。まぁ、それでも創りながら・・・、創っていく制度ではあるとは思っていました、が、です。
  4. 支援費制度が始まって・・・2000年春にこの制度の施行開始が2003年4月と決まってからは、我々もいろんな手段を利用し、利用者となる皆さんへの周知努力をしてきました。そんなせいもあってか、例えば尼崎市あたりでは全国有数の支援費決定量の自治体となりましたし(これにも問題があって、ほとんど計算された=予算化された数値ではないようで)、学齢期の方も含めて多くの方(といっても情報が届いていないところには全くといっていいほど届いてはいないことも実感しています)が、「真に必要な支援費」ということをイメージし、少しは考えていけるようになったのかな?と、言えるようにも思います。伊丹市でも今春以降、多くの方にその必要性などをお伝えし、「ほんとに必要な支援費」のイメージを少しは描いていただけたのではないかと感じています。こうした格差にも、「ケアマネジメント」が制度化されていないこと(但し基本はセルフマネジメントであると思っています=ここでも知的なしょうがいを持つ方にとっては大きな問題となるように思います→再度、今後の後見人の必要性・在り方なんかをどこかでお話したいところです)や、サービス利用援助システムが整っていないことなどが挙げられると思います。
  5. 今後の課題・・・支援費云々ではなくって、障害者市民と一般市民なんて色分けでなく、少数派とかが・・・、でもなく、すべての方が暮らしやすい街づくり=「ユニバーサルなデザイン」を考えていくことが必要で、そのひとつの手段が支援費であったりすると考えています。また、支援費という公費を利用するにあたって、その使用使途であるとか、その必要性の明確な開示も必要となっていくでしょうし、今後の財源の確保の方法であるとか、重度なんて言われちゃう方にとってのサービス基盤の整備はどうするのか?なんてことも危惧されます。事業者としては適正かつ厳正な批判・評価を受けるシステムも必要であると考えます。
  6. 学校教育でのこと・・・「特別支援教育」について、やっぱりこどもたち(にかかわらず、ですが、)の捉え方としても「障害」ではなく「ニーズ」に視点を当てられるか?ということ。環境の整備として、「場」という視点でなく「支援の提供」という視点が必要、異なる専門性を活かしたチームとしての子べつ支援への取り組みの重要性などが考えられるかと思います→笠原真帆「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」について〜思うこと〜より。そして、「教育の視点・領域として、こどもたちを教育する際に「こども」を変えるべき存在として捉えるのでなく、まず「環境」というところから関わっていこう・整えていこう・変えていこう、という姿勢がなんとも素敵な見方でであるということ(京都市西養護学校の取り組みから)」(笠原真帆さんの言葉による)を私も感じています。そういった考え・教育手法を我々学校外の市民にも共有させていただき、子供たちへの個別の支援というカタチを創っていければと考えます。
  7. 地域社会でのこと・・・特別支援教育(特別支援学校制度・仮称)にもみられる可能性(笠原真帆資料P4〜5)をいかに活かしていくかということと、「最終報告」第4章、3にある「学校内における特別支援教育体制の確立の必要性」という項→『笠原真帆・資料P9にも記載』にある、幅広く関係者が協力・連携した上での校内支援体制の確立の重要性を認識した取り組みを推進すべきかと考えています。

 当活動(事業)以外での地域での活動、例えばPTAであったり地区社会福祉協議会などで感じる、組織内のみでの対応的な発想=特に学校という閉鎖的文化(医療機関にも長く従事して感じるところですが)に転換の流れが生ずるのではないかと期待しています。

 特別支援教育については思うところも多々あり、この場のみでは消化どころか咀嚼もできないと感じていますので別機会にといたしまして、「支援費制度下でのあり方」については、当地における柔軟な発想…真の意味での「インクルージョン」の推進というか、当人の障害ゆえの対応でなく、当人の持つニーズに対して如何に地域社会が考えていけるか(いくのか)?といったことが重要かつ基本的な姿勢であると考えています。そんなところからこちらの地(場所)で今後活動を続けていきたいと考えているところです。

キーワード
@. 支援費制度
A. 福祉基礎構造改革
B. 障害者基本法
C. 障害者差別禁止法
D. 成年後見人制度
E. インクルージョン
F. 「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」
参考資料等
  • 「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」〜思うこと〜・笠原真帆

  • 地域生活を考えよーかいのサイト


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