地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

いたみまちづくり会議
障害者自立支援法についてのお話し内容

6月20日に行われました、いたみまちづくり会議でのお話し内容です。

作成日:2005年6月20日
掲載日:2005年6月21日
分責:李 国本 修慈

 まず、テーマとして、自立支援法ってなんなのか?、と、この国の福祉(医療もからむ、その他もね、)政策の歴史と在り方の確認、そして、私たち(とは、一般の?、…というか、支援者などという、あたかも当事者と歩みを揃えているかのごとくの我々や関係皆さんのこと)の思いのほどの確認。

 障害福祉の現状として…サービス量の増大→実は「潜在的需要(本当に必要ニーズ)」が見えてきただけ…これについては、全国で行われてきた草の根的な活動や、我々「ぷりぱ」「ヴィ・リール」などの実践で明らかになったと言える。

 増加する利用者への対応だとか、全国一律のルールとあるが、おおよそ(というか、この法案ができる過程=理由として、財源不足=事前調査(徹底したニーズ調査)の不足…支援費制度にも3年の施行開始前準備期間があったのだが…、(ようするに、その程度の制度=少数派の制度、「救い(施し?)」の制度=それだけ少数派=しょうがい者といわれる方々の権利保障なんて認知されていない?)財源が無いが故の…を言い換えたようにしか思えない。

 で、障害児・者施策(在宅の)をどんどん充実させていったところで、決してその必要財源は「青天井」に伸びるという訳ではない→一人の方には一日24時間しかないのだから、仮にその全てにサービスを提供しても、それ以上は無い。しかも、安心さえあれば、多くのハンディをお持ちの方は、公費の無駄遣いは決してしない(と思う)→それこそ、公費の使い道にこそメスが入るべき(既に入ってはいるのだろうが、全く持って氷山の一角(以下??))。

 して、障害の一元化→あたかも求めていた文言だが、その内容こそが問題…これまで、一元化でなかったが為のまどろっこしさ(ほとんど事務的量に=事業者視点では)があったが、この法案の中身を見ると、一元化することで、不利益が発生したりもする。

 表面を装い、中身で抑制。なかなか手はずとしては、フムフム…だが、受け入れがたいものがあると当事者は言う。

 そして、「自立と共生」。これこそ「ノーマライゼーション」の理念だが、多くの決まりごとが「政令・省令」で決まっていく(実は、その通知内容も、様々な事業者団体との水面下の話し合いがある…などとの噂も飛んでいる→これまでの措置の最大の悪性=既得権益が、とんな時にもネックとなるのかしら??)という在り方は、やっぱりおかしい。

 して、「自立支援・個別支援」とうたいながら「同等な負担」「みんなで負担・お互いに」などと官僚・大臣さんらは言いますが、負担の前に「所得保障」がないと…なんてことは、私のような素人でも計算できる(ような気がするが…)。

 で、「自立支援法」、幾法かをドッキングすることで、精神の方にも今以上のサービスを。と、谷間といわれる(発達障害などといわれる方々…発達障害者支援法という法律もできています)方々の支援は?と、疑問を持たねばいけない。

 上記の「精神」含めた一元化はある意味評価できる点で、全ての文言がもっともらしく書かれていて、「普通に暮らせる街づくり」というイメージが本当に構築できるようにと願います→そこには、あくまで緩やかな規制緩和が必要で、支援費制度下でも、規制緩和によって、大きく変わった部分もある→03年4月からの「しぇあーど」の在り方を見ても立証できる。

 ただ、それでも追いつかない少数派の地域生活支援→例えば、重度(超もついたりする)心身障害児・者などといわれる方々の日中活動及び短期入所の保障など、規制に守られる(語弊アリですが)施設等のみではぜんぜん現実なモノにはなってはいない。

 たったの二年間ではあるが、実績を積んできた事業体への規制のほどきは間違いなく必要で、そもそも、同一人物が、上記施設ではなく、例えば「ぷりぱ」、「しぇあーど」を選択してきた事実も存在し、それによって(のみではないのだが)、既存施設の頑張りも見えてきた?ようにも思う(ここいらでは、いわゆる市場原理、というか、それ以前の、地域支援を行うにあたっての施設や大規模法人の役割なども見つめ直されてきたといえるのではないかと思う)。

 「総合的な支援システム」では、いろいろ問題はあり修正(現在の国会審議の中で)の対象と成りえるものもが多数(でなかったりして?)あるのだろうが、「移動支援」については間違いなく(と言っていいと思う)「個別給付」の位置付けは外せないと思うのだが、ここいらも「給付抑制策」的であり、支援事業となると、市町村の裁量という色合いが益々強くなり、前述の全国均一のサービス基準にもかなわず、それこそ個別支援の実現は大きく(今より)後退するものではないかと考えられる。

 で、「移動介護」については、いろんな新類型を作り、個別給付を削減していこうという考えがあるのたろうが、やはり必要な人への個別給付は必要であるという認識は持つべきであろう(かと言って、様々な支援事業や活動機会を否定するものではなく、それぞれのサービスが共存し、「選べる」ということが肝腎であるといえる)。

 そして、自己負担についてであるが、このあたりは現国会審議でも大きな疑問(批判?)の対象となっており、修正の方向にあるようですが、その在り方も税制上での所得控除との引き換えのようなカタチとなるようで…??である。

 何より問題なのは、「定率負担」という名に変わってはいるが、要するに「応益負担」ということで、しょうがい児・者といわれる方々が受けるサービスが「益」であるのか?といった議論(するまでもないと思うのだが)が必要であると思う。

 ハンディのある方が、道路を歩く、食事を摂る、排泄する…などの、いわゆる生活をしていく上で最低必要なことすらも「益」と称して負担を求めていくのか?といったところ。

 ただ、街では、電車に乗ろうとする車椅子利用者に向かい「何故、お前らの為に国税が使われて財源不足なんてことになるんだ」といった声が聞こえるのも事実である。

 そういったところ、道路を歩くのに、飯を食うのにお金を払うのか?、おかずや米を買うなどと言っている訳ではないのだが…。

 最低限の生活保障、所得保障なくして、こういったことが語られ(てもいない、というか、伝わってはいない…全てのしょうがい者といわれる方々には…)ていくのでしょうか?。

 そして、当事者みなさんの要望として、やはり「当事者抜きの政策決定(過程)はおかしい」ということ。更に財源不足が原因である事等からの理由で拙速すぎるプロセスは大いに問題があるとい言っていいかと考える。

 更に、自己決定・自立支援と言うならば、それを尊重した在り方が必要であるのは言うまでも無い。

 施策案の中では、必ずしも当事者について理解のある者達のみではない審査会によって、当人のニーズ(支援・介護計画)が決定される仕組みとなっていること。

 更に「発達障害支援法」が成立しながらも、その他(難病など)の「谷間」といわれる障害者の問題は解決されずである。

 そして、再三言う、「移動介護」、更に「事業」化によっておこる地域格差はいかようにもしようが無いのではないか?。

 更に不可解かつ、後退の要素としての、グループホームでのヘルパー利用の不可。そして、「重度包括支援」の内容など、その中身は全くこの案からは見えてこない。

 そして、昨年可決された障害者基本法との整合性の問題!。

 やっぱりおかしな国策〜入所施設・国立療養所・精神科医療などなどの隔離収容政策…。

 更に分離教育。特別支援教育に真のインクルージョンは何処へ…?。

 そして(ばかりだが)、基本的人権、差別とは?。

 権利法の必要性→差別禁止法へ。

 そして、我々が行ってきたこと。目の前にあること。まだまだ潜在している、個々のニーズ。

 そして、大切な「視点」。で、何があっても続けるか?、続くのか?。しかし、やめる訳にもいきません。

 そういったことを少しでも感じていただければありがたいところです。



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