地域生活を考えよーかい

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重心(重度心身障害児・者)といわれる方々と障害者自立支援法を考える

重心(重症心身障害者)といわれる方々と生活支援を考えるネットワークみなさんとの会への出席(出張)報告書です 。

掲載日:2005年10月10日(月)
作成:李 国本 修慈

 昨日も、重心(重症心身障害児・者)の生活支援を考えるみなさんとご一緒できる機会があり、厚生労働省官僚の方々とのお話しも含めてお聞きすることができました。

 障害者自立支援法、その発表(昨年10/12のグランドデザイン)から約1年が経ち、多くの障害児・者および関係みなさんに大きな影響を与えていることは周知の通りで、その影響の多くが「心配」「不安」ということ、更には(当然のごとく)、多くの国民的関心事どころか、政策を論議する国会などでも大きな関心事にはなっていない(と思う=私的思いですが…)ということが問題のようでもあります。

 そんな中、多くの関係団体や関係各者が、厚生労働省官僚みなさんや国会議員さんらへ懸命の訴え、説明、協働への働きかけ等、ほんとに頭が下がる思いです。

 して、障害者自立支援法、三障害一元化というのですが、なかなか法や施策に対しての障害者団体みなさんの協闘なども一元化されていない(みたい=ここも私的感想、ながら、間違ってはいないような)ようです。

 そういう点では、私なんかも深いかかわりのある「重心」などといわれる方々を支援させていただく立場での主張を前面に出すと、よく言われる(言われてる?、聞いたことない?)同一パイの中では、「重い(障害が)からたくさん(の支給量)」では、「軽い(障害の)」といわれる方々には、当然量は行き渡らない…となるようで、むむむ…なんですが…。

 更には、モデル事業として行われた「障害程度区分判定等試行事業」の結果によると、身体障害者の方で、 要介護度5の方が、一時判定で22.5%、二次判定では28.3%になる

 ということで、いわゆる介護度が高いといわれる方々の割合が広範(高い)に及ぶため、相対的な考えでいくと、更に重度といわれる方(スペシャルな…などと表現されてました)への支援に対するコストはでてこないんじゃないのだろうか?という不安が沸々と自然と沸いて(既に煮立っている?)くるようです。

 そんなん、今時の流れで、通知表みたいに、相対評価でなく、絶対評価で、まずはコスト(単価)ありきで、高区分(高介護度)に該当する方にはしつかり、その数が多かろうが、支給すりゃあいいやん!と、なるのですが、当然ながら、それは私のような素人の発想、というか、素人でも「そんな訳にゃあイカンじゃろ」となる訳ですね。

 更には、官僚みなさんのお話しを聞いていると、自立支援法案でも強調している、サービス水準の地域格差の是正=全国平均化(底上げ)をまずは目指しているところで、おそらく(いや、間違いなくと言っていいかと思います)「高い水準への目標」などはなく、底上げした上での「ある程度(低い水準とは言いませんが)での均一化」を目指しているようです。

 このへんは、同席されていました北野誠一先生も、欧米の例を取り上げ、障害が重いとされる方々への支援を手厚くすると相対的に軽度障害といわれる方々への支援の層は薄くなるというようなことをおっしゃっていました。

 そして、こういった議論が、障害者関係みなさんのみでなく、全国民的な議論および関心事に…という意見が各法面から出されますが、なかなか小さな地域でも永遠の課題といえそうです。

 で、やっぱり、厚生労働省というか、この国の方向性(あくまでも現時点での…という意味で)は、「広く薄く」といったイメージを改めて実感させていただいたということで、行政マン的に言うと、そこ(特別・重度・超少数派)に、多額の税金を投入(嫌な言い方だ…)することは、非常に行いにくい=国民的合意がなされていない(繰り返し現状では)ということが繰り返され、当然、将来的にはそういった方向へ向かうのでしょう(ほんまかいな?)が、「今(現状)は、そのよう」であるようでした。

 そう言えば、せんだってお会いした中村局長(社会援護局)さんも「コンシューマー」の問題よりも「タックスぺイヤー」の問題ということをさかんにおっしゃっていたように思います。

 だから介護保険…になっちゃう。…だから、拙速(いろ〜んな意味で)だと私は思うのですが、急がねばならないようです。

 と、従前から、色んな方面で言われている介護保険の在り方こそ、見直していかねばならないと思うのですが(見直してるやん、と言われるのですが)、そこらあたりも(から、か?)複雑怪奇としか言いようがない(と言うか、私の頭では、どうも整理がつかない)といったところです。

 さて、昨日行われていました議論では、せんだっての厚生労働省からの資料等【第28回社会保障審議会障害者部会資料(平成17年10月5日開催)】から、様々な議論・憶測がでてきていましたが、本当に、よくわからないというのが実感で、未だにミステリアスな部分だらけと言っていい(実際に官僚さんも「未だ…」ということが多かった、というより、一応未だ法案も成立はしていないということもあって、ですが…)ようです。

 重度包括支援の在り方や、現行の通園事業なども、不可解のままのようです。

 更に、日中活動の場という視点から、生産性(何をもって生産性というのかは、とりあえず、ここではおいといて…)=労働賃金によっての活動場所の選定であるとか、介護程度(障害程度区分)によっての切り分けであると、重度重複障害者といわれる方々の中にも、狭間に落ち込み、活動場所が確保できなくなるのでは?とか、本来指定制(基準を満たした事業者の申請によって)であるのが、自治体によって操作ができる(?→このあたり、資料等を私が読み込めてないので??ですが、今でも、そんなこと=基準満たしながらお金がないから、ちと待って…みたいなことはある訳で、そういったところの逃げ道かしら?)など、諸々の不可解さがあるようです。

 そういった点では、官僚さんの口から聞かれる「情報の開示不足」や、「コミュニケーション不足」は、その通りだと思いますし、そういったことに積極的に応えようとする姿勢は、とっても好感が持てるものではありますが…。

 して、そういった議論を聞く中で、我々などが支援させていただいている皆さんは、多くが、その区分でいうところの最重度の枠を超えるように思います。

 そういった点から見ると、やっぱり、区分に分けられる以上の区分⇒「スペシャル区分」などという概念もいるのかもしれません。

 ただ、そういった議論を行う際に、やっぱり大切なのは、今回の会議に参加されていました皆さんが同様に言う「支援の内容=決して介護のみではない」という尺度が必要で、しかし、それは、なかなか端的には表現できにくいものであることは確かに言え、だから、「やってる(やっちゃっている)ところはできる」⇒なんらかの手立てを使って…、その「何らか」とは何やねん?的なことが、清水さんのいう「理念」であったりするのでしょうが(?)、なかなかそれを汲み取り、それに向かう(向かいやすい、もしくは向かえる)制度基盤というのは、作りにくい、というより、そういったモノを、少なくても「今」は目指せない(又は目指さない)といった方向性が強く感じ取られ、そういった事が、尺度と成り得るカタチ作りが必要なんだ(といいつつ、そんなん難しいやん)という思いを強く持ちました。

 で、その尺度についてですが、富田さんの資料にもあるように、例えば、我々なども陥りやすい問題として、「医療的ケア」などという、少しよくない表現区分(そのよくなさは、ここでは置いといて…)で、その方の支援度を計るのもへんてこですし⇒気管切開だとか、呼吸器なんぞって、付けりゃあ、ダンチ(団地ではなくって段違いという意味)で、その前の(多くの方々は、気管切開が必要=これも、単なる他者的=医療的な偏った見方・言い方ですが…だと思われながらも、大いに苦悶し、暮らしてまして、そういった状況時の心身その他複合的な)支援の方がとっても大変で、そういった、おそらくあまり知られていないであろうですが、知る人は知る中での細かな支援度の違いなども認識しておく必要があるかと思います。

 で、ほとんどしっかり覚えていないのですが、「同一サービス=同一単価」という想像も、例えば、「生活介護(個別)」の中で、いろいろなサービス内容を作るようですし、「重度包括」にしても、我々の想像が先行していた感はあるようでした。

 で、結局、なんとなく、先行きの怪しさは実感でき(と言っても悲観することばかりではくって)、かと言って、何もこれまでと変える(といいつつ変えざるを得ないところもあるのですが)ことはなく⇒理念などという点においては…ですし、今ある(もしくはこれからできる、存在する)モノで、そういった体制を創るしか(もちろん、地域として、自治体として、ほんでから国としての理念の高まりは訴え・期待するのですが)ないのかな…という感じがしました。

 そういう意味では、変だけど、先進的な活動が、決して全国的な目標には、まだまだなっていなくて、「価値ある取り組み」の域を脱しないのは問題だなぁと思いました。

 と、私などが、何故かこういった活動を行い始めた頃(1990年代後半頃)のような、草の根的な活動体が、支援費制度が始まってから、あまり出てきていないような気がしてなりません。

 そんなんで、どうしても汲み取れられない少数派の思いであるとか、実態なのかしら…という(いつもながらの)ところに落ち着いてしまうのですが…。

 なんとも、しようがい施策などのみでなくって、危うい(と思う)この国の在り方なんですが、北野先生からは、近々国連での「障害者の差別禁止」が条約化されるのでは…といったお話しも伺い、そんな流れをうまく感じて、この国も…と思ったりするのですが…。

 と、あらゆる手段を探るという点では、特に重心などといわれる方への支援(行動障害などといわれる方々へのそれにも)として、訪問看護などという、どうも生活モデル観からは、相反する医療をも、ぐるっと変換させた上での活用はしていくべきだと考えます、というか、実際にやっているのですが、その際にも、視点の置き所には、ものすごく注意が必要で、今回参加されてましたみなさんがおっしゃる「支援の在り方」具合のチェック体制と、その在り方のアピールも、もっと露骨に必要なのかな?と思いました。

 にしても、結局は、目指すべきところは変わらない訳で、ということで、いろいろやいこしくも複雑な制度設計のようですが、今後もしっかり勉強しましょう。



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