今回、かかわりのある三事業者(ヴィ・リール、ぷりぱ、しぇあーど)の合同勉強会ということで、こういった機会が作れるようになったことを、とっても喜んでいます。
しょうがい児・者といわれる方々の地域生活支援(この言葉の意味や使いようももまた考えていければと思います)に関わる者として、なかかなマニュアルや既成方法のない、その手段なんですが、そんなことのひとつに、「医療的ケア」という問題もあるかと思います。
ただ、「医療的ケア」なんていうのは、決して、それを行うことが目的ではなく、ただ、目の前にいる(かかわりのある)方のそれ(生活支援=活動支援)を行うために必要な知識であり、スキルであり、何より「意識」であると思っています。
例えば、よく言われることとして、「医療(的なけア)が必要な人は大変ですよね」などという言葉があるのですが、決して、「医療的ケアを要する方」と支援度の高低とは比例するものではありません。
多くの皆さんが、医療的ケアを要する前、「気管切開をする時期か?」、「いろうにする時期か?」などと思い悩むいう時期があり、その時期こそ、誤嚥(性肺炎だとか)や、栄養摂取(水分等も)の問題が大きくのしかかっていたと思います。
そして、気管切開やいろう増設などを行うことにより、上記に示したリスクなどは、おそらく改善し、介護度も低くなったということが実感できたことと思います。
何が言いたいのか?…なんですが、なんとなく、「医療的ケア」などと言うと、「大変」、「最重支援度」などと感じさせてしまって、いかにも「医療モデル」的な発想を助長させてしまう危惧を併せ持っているということも、今日、お集まりになった皆さんには感じてほしいと思っています。
そういう意味では、「医療的」などという言葉すらが、無くなってしまえば…という思いです。
また、我々が行っている「地域生活支援」とは、その人の暮らし、更には活動を、共に支えていきましょうということだと思います。
現在、国会で審議中の自立支援法案によっても、そのスケール(障害程度区分)が、介護度で区分けされようとしています。
更には、医療費の在り方や、支援度(例えば、おそらく、径管栄養管理よりも、経口節食介助による栄養管理の方が、支援度は高いといえますよね。まぁ、この例えだと介護度も後者のほうが高いのですが、そこを支援するコストは明らかに前者が大きくなるという実態があります)の在り方にも関心を持っていただければと思います。
ともあれ、今回の勉強会で、少しでも、みなさんのモチベーションが上がれば(足しに成れば)と願うところです。
目の前の大切な人をなんとか…という思いは持ち続けたいと思います。
といっても、ななか厳しいですが、しなやかにしたたかに…、楽しく行きたいですね。