地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

第3回パーソナルアシスタンス・フォーラムのかんそー(事業所内報告)

せんだって行って来ました東京でのフォーラムの報告です。
けっこう記憶に残ってない内容を回想しての記録なんで、誤認・誤記があるかと思いますが、ご了承くださいね。

作成日:2005年11月23日(水)
掲載日:2005年11月24日(木)
作成:有限会社しぇあーど 李 国本 修慈

 と、いうことで、かねてから一度、参加したいと思ってました当フォーラムと、東京にいらっしゃる、元(と言うか、一時的に)しぇあーど(私どもの事業所です)の利用者さんであったYくんとの再開や、「リソースセンターいなっふ」の岡部さん達にお会いする機会、またまた、私どもの事業所スタッフの研修シリーズの一環として、という目的で、はるばる東京まで行ってきました。
 と、いうことで、今回のフォーラムのテーマとして、「これからの居宅介護・移動介護を考える」、「行動援護とパーソナルアシスタンスを考える」という言葉が掲げられ、コーディネイター岡部さんを中心に、発表及び討論者として、「だれもがともに小平ネットワーク」の藤内さん、「自立支援センターグッドライフ」の末永さん、「社会福祉法人むそう」の戸枝さんという方々を中心に会場からの質疑なども加えて行われました。
 最初の発表者の藤内さんは、行動援護に関して、都内の実施状況を示し(居宅ネット調査/8月1日現在)、そこからの利用頻度の低さ(支給決定者が都内でたったの12人で、利用者は8人、指定事業者は27事業所ということです東京都)から、「これは制度とは言えない」と指摘され、その要因として、行動援護の支給決定基準表のおかしさ(その内容=着目内容や、基準クリア点数等)や、事業指定基準(従事ヘルパー及びサービス提供責任者の経験及び経験など)の厳しさをあげ、「「行動援護に反対していた立場から、事業指定を受けようとは思わなかった、意地でも制度にはのれない(あるいは、乗らない)と思っていた」と述べられました。
 確かに、事業者要件の厳しさから、指定申請できない事業者は多数あったかと思います。我々の事業所でも、今年3月の時点で、従事要件を満たすスタッフは皆無で「どないもならんわね」といった感でありましたし、更に、今、行動援護を取らなくても(事業指定受けなくとも)、現状(来年9月いっぱいまで)では、「移動介護」が支給決定されているわけで、利用者さん自体が困る(サービスが受けられない)という状況にはならない(しかし、事業者としては、4月からの単価削減もあって、食いつけるものなら/表現よくないですが、指定を取るといったことも考えられた訳ですが・・・、と、藤内さんもおっしゃっていましたが…)といったことも大きな理由であるかと感じました。
 この点については、後の発言者でもある戸枝さんが、「意地を通せるのも来年の10月まで」と言われ、なるほど(と言うか、そらそーやん的な…)事実で、そこに焦点をあてた事業形態や、利用者さんとしての、今より後退することのないサービス類型の在り方(内容)を考えていくことが肝要だと改めて感じました。
 ということで、ますます地域支援事業の内容(移動支援だとか)は問われるわけで、現在市町村で挙げられている予算(たぶん現状の移動介護分の予算は次年度に上がっている筈=少なくても伊丹市では挙げてもらっている…筈です…で、それ)をどう運用していくのかが大切かな…と、思うこと、更には、フォーラム内でもお話しされていた障害程度区分と、行動援護の支給決定基準がどうリンクするのか?⇒せんだっての障害程度区分試行事業などでの判定による程度区分上位(程度区分が下位であっても、行動援護支給決定基準を満たす方もいらっしゃる?筈??⇒だって、身体機能を重視した区分けだと、そういうこともあるはず??)でないと支給決定対象とならないようでは困るし…など、多くの調整がないといけないと感じるものでした。その点についても戸枝さんは「だからこそ、今年4月に開始となり、問題が明らかになり、次年度10月までの期間を使って考えていきたい」という(ような)ことを述べられていました。
 そんなんで、当然ながら、問題は、現在支給決定されている移動介護がどうなるのかということで、藤内さんからは、移動支援について、「我々が言うていた、二人の利用者を一人のスタッフでも…ということを逆手に取られた」ということを述べられ、その上で、しかし、「柔軟な対応」というのは事業者サイドから提案するものではなく、「利用者が、それを希望」した際にこそ、「柔軟性」が発揮されるべきで、そこを見極めることのできていない理念による「柔軟性」には甚だ疑問がある…というような事を述べられ、「緊急時の対応を可能にする」ということも、現状の支援費制度でも「市の柔軟性と事業者の気合」によってできるではないか!ということをおっしゃられました。
 そのあたりは確かにそうであって、それこそが大切であると思うのですが、藤内さんのような支援者・事業者がどれだけいるのかな?ということも実感として感じてしまいました。
 と、職権などによる緊急時の支援費支給決定(上乗せ)なんてのは、全国各地でどの程度行われたのでしょうか?。
 そして、行動援護について、「何故、それ(行動援護)でくくらなければならなかったのか?」という問題提議がなされ、「支援論からは、日常生活支援類型の知的障害者への拡大」こそが、求められていたのではないか?とおっしゃられました。
 で、確かに、その通りであると感じたのと共に、全国ネット(全国地域生活支援ネットワーク)の動きがなかったら、どうだったのか?(藤内さんがおっしゃる「拡大」がなんらかなカタチで、進んだのか?、程度区分に併せた個別給付=介護給付が全く…、もしくは大方…、が、なくなっちゃう事態となったのか?)などと、ふと考えました。
 戸枝さん曰く「行動援護類型」を作ることで、厚生労働省の考える「移動介護(知的障害者の)の全廃」は阻止したんだということ、今10あるものを5に減らしてしまったというのではなく、0になる(かも知れなかった)モノを5に引き上げたというイメージであるという(ような)ことを述べられました。
 私自身も、全国ネットが、それ(行動援護類型)を作っていった過程については、充分に説明を受け、知っている(つもりの)者の一人であるのですが、その視点として重視されたモノが、そこに就労する者の賃金(戸枝さんも言うように、こういった業界従事者の所得や労働環境は良いものだとは言えない実態はあります)を基準としており(もちろん、その根本には、当人を支援するという大前提の理念があるのですが)、それを達成(そういった支援基盤を構築?)するがためということがあり、片や藤内さんらの支援理念としては、まずは「当事者の時間(あるいは費用)の保障」、又は「今あるモノ(間違いなく必要なモノ)を維持する」こと等に、最大重点を置いていると考えられ、藤内さんがおっしゃる不純な動機「介護保険統合のためには移動介護を外す」から始まっているとしても(全国ネットでは、介護保険に対して、統合と言わず活用と言っているということも戸枝さんからも発言がありました)、戸枝さんが言う「ほっといたら無くなる」状況下で「現実的な将来を見通した上での行動である」という点などと照らして、その論点は一致しないものなんだとつくづく感じました。
 更に、藤内さんは、行動援護の専門性について言及し、「ともにネット」での活動実績を例に、「経験年数」などによる尺度のみでは「問題行動」のある人の支援はできない(できていない)、又は(むしろ?かな)、必ずしも経験者でなくとも支援は可能であるということを述べられました。
 このあたりの議論は、なんとなく「医療的なケア」は誰ができる(する)のか?といったコトと似ているような気もします。
 それに対して、戸枝さんは、現実的な問題として、これまで、先駆的な地域生活支援者達が敗れてきたのは、大きな力を持てなかったこと、それらの業界団体の強さ(凄さ)に勝る力を身につけねばならないということ、それには、データ集積による、表現の言語化、しかも、誰にも理解され、更には、財源というモノを動かす財務省にモノを言う(しっかりとした説明)ことが必要であるというようなことを言われました。
 実際に、これまでも行動援護を作ってきた過程を聞いてきた中からも、如何に充分(何を持って充分とするかは置いておいて)な予算をつけるためには…という論拠で、現在の指定基準要件である専門性が、説明・理解に必要であったようです。
 ただ、そういった過程が、おそらく、多く(多くではないかしら?)の障害者や関係者に不透明なまま進んだ事などが、なんとなく変な感じ(と実感)になっちゃっているのかな?、とか、やっぱりそれ(行動援護こそ、又は、のみ)が、絶対に間違いなく必要だったのか?という検証というか(そもそも絶対なんてことは有り得ないのですが、語弊を承知で言うと、絶対的な正当性で語る全国ネットみなさん?の言葉がうまく行き届かなかったのかな?などとも思います)、共に考えていく過程が(もっと)必要だったのではないか(実際に在り方検討会には話題に無かったモノができあがるというコト等からも)という思いも募りました。
 しかし、現時的、そして即効性は求められていた(行動援護が今年4月に開始となったことに意義があるという戸枝さんの言葉からも)ということであるから、更にやいこしいのかしら??と思ってしまいます。
 続いて、末永さんからは、「グッドライフ」の実践から、「長時間見守り型」、しかも、その大前提は「入所施設に入らずに済むために」ということでの提案がありました。
 介護保険を例にとって、いろんな方面で指摘のある「認知症」の方々への支援の在り方の問題が、介護保険的なモノへの変貌を目指すとするならば、そのまま同様に知的障害者の方々にも大問題(失敗)となるのではないか?という事が述べられました。
 そして、行動援護については、藤内さんと同様に、支給基準と実態との乖離度や、事業者(従事者)要件の厳しさ、更には、5時間分(一日)の支給決定しかないということを問題として挙げられていました。
 支給決定基準については、「何らかの点数により判定するなら」という前提で(おそらく、そんな点数でなんて判定できないよと言っているように聞こえましたが…)、「他者に対して危害を加える行為等、危険性の高い部分を例えば10点にするなど、支援が無い時間に、地域生活の継続が困難になる行動上の障害がある人が利用対象となるような基準にすべき」だと提案されました。
 おそらく、今後、その基準内容もそうなんですが、その点数も修正(下方へ)してくこととなろうかと思うのですが、末永さんがおっしゃる通りの、ひとつの項目でも、基準を満たすようなコトにしないと、やっぱりおかしいな…と思いました。
 しかし、そうすることによって、支給量(該当者)は増え、何のための行動援護(そもそも、こういったことを考えていくと、ホントに何のための行動援護なのか、ホントに解りにくくなってきますね)かという結論に達してしまうのでしょうね。
 更に末永さんは、行動援護を「長時間見守り型」という類型として活用していくには、日常生活支援と同様に1時間あたりの単価を安くしていく事が必要ではないか?と提案されました。
 具体的な数値も挙げられ、開始時は3000円/時間程度〜それ以降は2000円程度という設定を示されました。
 その際にも、議論の前提として、入所施設に使っていたお金を居宅介護へとシフトしていくことを基本にという考えを示されました。
 実際に、グッドライフさんは、事業所持ち出しで、24時間介護を実現したり(多くの全身性障害者といわれる方々が行ってきたことだと思うのですが)していまして、そういったカタチでの支援は可能であるということをおっしゃっていました。
 その点についても、戸枝さんのおっしゃる「労働(活動?)の対価(語弊ありかも?)」、「これで飯を食っていける単価」という点とは、なかなか合致できず、実際に常勤スタッフなどを雇用しようものなら、とっても大変なのはよく理解しているところで、ホントに、どっちがどうやねん?てなところは不可解なままとなってしまうところです。
 ただ、戸枝さんにしても、「ふわり」スタッフの重労働ぶり(日中活動の就労後にデータ集積や事務などを行っていると10数時間の就労ということになる)を示して「だけど、こうでもしないとできないんだから」と言われるあたり、その支援に対する思いは、そう変わりはないものだという事は感じ得るのですが…。
 更に、末永さんは、資格要件について、「ヘルパー自身の考え方や感性の部分で、本人の障害をある程度理解しながら継続して関われるヘルパーが求められているという視点で制度を作っていくべきではないか」と提案され、その中から、自らが選んで利用するという仕組みこそが大切なのではないかということをおっしゃられていました。
 なるほど、全く同感の思いもある反面、そういった介助者(介護者/ヘルパー)が、増えていくのか?という危惧も実感しますし、かと言って、労働条件のみを改善しても、藤内さんや、戸枝さんのような支援者は次々と出てくるのでしょうか?と考えたりしました。
 実際に1980年代後半あたりから、ぽつぽつと出てきた新たな(?)動き(戸枝さんや、我々のような、なにもなくてもやりましょう的な支援活動団体又は個人等)は、その後も続いているのでしょうか?。なんとも知りたい疑問のひとつです。
 そういった中、グッドライフさんも行動援護の指定を受けながら、今後の事業を行っていくようですが、上記提案なども含めて、今後のことを考えていきたいということを述べられました。
 その後、戸枝さんからは、行動援護が作られた過程であるとか、今の障害福祉の在り方など、自らの実践を基に、多様なお話しをなされました。
 基本的な考えは、障害者関係のみではない、タックスペイヤーである国民や、特に財源を動かす財務省、更には政治家に向けた活動が必要であるということ、更には、そういったモノをこれまでに動かしてきた業界団体に負けない力を身に付けることが必要だということのようでした。
 会場からは、質問と同時に批判もありましたが、戸枝さん曰く「傍観者にはなりたくない」という言葉通り、ホントに懸命に動き続ける姿勢が伺えました。

 その後、場所を移して、参加者及び関係者皆さんとお話しする機会もいただき、その後、岡部さんからも、様々な言葉をお聞かせ頂き、いろいろな事を考えさせていただきました。
 その中でも、岡部さんの言う「必ずしも、ダイレクトペイメント的なものに、世の中は、ならないにしても、一方(他者に生活の在り方を委ねて、他者に決定される)のみでの制度設計は好くなく、いずれも(自らの手法で生活の在り方を決めていく方)が、可能であるべきではないか?」ということに、やっぱり納得はできました。
 かと言っても難しいですね。
 そして、岡部邸では、息子さんの行為(いわゆる、「もーっ」というような)に対して、おとーちゃんとおかーちゃんが、「あっ、それ3点」、「いやいや、そりゃあ、一気に6点だよ」、「だけど足りないから、やっぱりイッキに10点!!」などと言っているのを見て、おもろいなぁ〜と感じながら、カタチにあわす尺度なのか?、当人のなにがしらを測るための尺度なのか?ということを考え、やっぱり、規定の枠の中に入れ込む評価基準(点数)ではなくって、絶対評価的(うわーっ、こりゃイッキに20点!!とか)でないと、やっぱりおかしいなぁ〜と思いました。こんなこと言うてると、やっぱり甘いんでしょうね。
 なんのこっちゃですが、以上…。
 もっと他にもいろいろあったんですが、やっぱり記憶が遠のいています。
 やっぱり遠いところにもパソコン持って行かなくちゃね…と思いました。



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