地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

「障害者と人権〜『ふつう』ってなんだろう〜」
倉本智明さんのお話し報告

報告者は久保雅子さんです 。

講演開催:2006年3月10日(金)
19:00〜21:00
掲載日:2006年3月13日(月)
作成:地域生活を考えよーかい
久保 雅子

人権文化のまちづくり講座

2006年3月10日(金)19:00〜21:00
豊中人権まちづくりセンター

「障害者と人権〜『ふつう』って何だろう〜」

講師 倉本 智明さん (関西大学非常勤講師)


―――19:35より―――
 ハートビル法(それがあるから、)それで十分かというと十分でない。お金だけの問題ではない、技術もあるんですよね。例えば、誘導点字ブロックより安全なもの・・・。
 バリヤフリーということも、十分でないけど、・・・。バリヤ(障壁)から自由になれるの意味。1970年代から(街を)歩きやすくなった。ずいぶんとよくなったんです。少しずつではあるけれど・・・。フリー障壁を取り除く・・。大阪はかなりの先進的な(街ですが)それでも、点字ブロック不十分です。
 「そりゃ、確かに、車椅子の人も気楽に利用できたらいいよね」とか「目は見えないより見えたほうがいいでしょ。」「足は歩けないより、歩けたほうがいいよね。」とよく言われることです。手術できないなら、リハビリテーションしましょ。それをやってだめなら、交通機関が利用しやすいように、エレベーターをつけて・・・。」というような考え方。私は今のところ「見えたい」とあんまり思っていないんです。私は・・ね。言いたいことは、道筋としてまず、(手術して)治るように(治療)、それでだめなら、訓練(リハビリテーション)その後に社会的に安全対策というのが、一般的な考え方。しかし、それが、本当なのか?いろんな人間が社会にいる。昔も・・・。人類学、文明社会以外の未開発地域に住む素朴な民族でも障害者がいなかったわけではなく、障害者が完全にほったらかしにされたという社会はありません。でも、自分の目で見、足で歩く人が作った社会○○できなあぶない社会が出来た。実際はいろんな体の人がいて、いろんな体に合わせた社会。それで、不自由でなければ(見えなくても)いいんじゃないか?と思うんです。残念ながら一般的にリスクは見えんより見えたほうがリスクは低い。
 バリヤフリーは大きく分けて2と通りあると思います。

  1. 人は見えてあたりまえ、まず、治療してそれでもだめなら社会的に対応しましょう。
  2. もともと人間はいろんな人がいる。いろんな体に対応した仕組みを作ったらいい。治療すること(治す事)が必須ではない。完治しなくても、部分(例えば痛いところだけ治療する)というのも考え方のひとつ。

 バリヤフリー(の考え方)は一致できます。という中でも、根本的な考え方が違っていることがあります。駅のホームから転落することは視覚障害者だけの話ではないんです。

 障害者の話は、個人の努力、個人のお話として、語れがちです。そんなことで、障害者の問題は解決しません。それぞれの体でもいい社会として考えましょう。
 わたしは、5時間ノンストップでしゃべれます。大学では、5分遅れて5分早く講義を終えるようにしているので、80分講義します。大学で10年目ですが、どうも私は時間だけはダメで話したい1/4、1/3話が残ってしまう。大学の講義なら次回があるのですが、こういう1回ぽっきりの「来週きてください。」が言えないから困ります。
 大学では、資料を用意してとなるのですが、今日はそうでないので楽なんです。大学の資料はパソコンで作ります。パソコンにソフトをいれブラインドタッチで文字を打つんです。慣れたら皆さんも出来ると思うんですが。(まあ、私は初めからブラインドタッチですけど)パソコン入力は、英語と違って日本語の漢字変換しないといけない。ソフトが音声で「新聞」なら 新(しん)あたらしい 聞(ぶん)きく と読み上げてくれる。というようにね。

 そろそろ、自分史の話をしなければと思います。

 子供のころ、私は弱視でした。軽い障害者として、自転車にも20歳まで乗っていました。本も肉眼で読めました。漢字の画数が多くても、漢字の横棒が一部見えなくても、完全じゃなくても、内容はある程度わかるじゃないですか。われわれ、一時難しい字を飛ばしても本が読めたりしますよね。本を顔にくっつっけるように肉眼で読めたんです。本ならいいんですが、新聞は鼻が高く新聞のインクが付いたのを気づかず、かっこ悪かったことがありますが・・。
 幼児期まで障害者という言葉を知らないけれど、普通の近視の人とは違うとは知っていました。自分を障害者と思わなかった。なぜか・・・・。子どもの遊びは失敗してもかまわない。(ものにもよるけれど)失敗しても目立たないし、なんぎでもない。私は、大阪西区大阪市立九条幼稚園に健常児といっしょに通っていました。朝礼があって、順、和風の幼稚園だから「さくら」「まつ」「あやめ」・・。僕は「さくら」組でした。文字を教えていない幼稚園だったので、朝礼のクラスの並び方は先生がクラスのカラーできり絵をした画用紙の前に並ぶんです。例えば、さくらの花びらにきったピンクの画用紙を持った先生の前に並ぶ。2,3メートル離れればわからなくても、1メートル近づけば先生の顔を見てクラスを判断することも出来ました。僕はさくら組やった。ある日、間違えて梅組みに並んでしまった。先生が僕を見つけて耳たぶひっぱられて(当時の先生は野蛮でした)連れて行かれました。半分は注意力不足。周りの子も見えててもアホなやつ、おっちょこちょいがいて同じように間違えてる子がいた。失敗が目立たない。僕一人ならはずかしい。しかし、失敗するやつが多くいると目立たない。特別でない、そうゆう事子どもの世界ってあるよなあって思います。いごこちよく、出来ないってことがマイナスポイントにならない。それが、マイナスととられない。大きくなると、周りがどうであるかという事が関わってくる。今まで困らなかったのに、はっきり意識される。当時は、僕は障害は中度程度で、全盲ではなかった。
 幼稚園時代はそうでなくても、小学校時代は、今こそ統合教育といわれますが、1970年、昭和45年万博の年、地域の小学校に行くのは、公式には難しかった。僕は、盲学校ではなく、弱視学級のある、地域の小学校に通いました。弱視学級は大阪府下には一校、たまたま隣の小学校区にあったので、子どもで歩いて、20分の距離を通いました。在学中に授業のスタイルは変わったのですが、一般の授業は健常者と同じクラスで授業を受け、放課後弱視学級の子が特別授業を受ける(補習ではない)というスタイルでした。僕はよかったと思っていますが、子どもながらに今までで遊んでいた友達と違う学校に通うことになる。当時は学校が違うと敵(やんちゃで・・様はガラが悪かった)という感じで、他校の子どもとは遊ばない。周りに健常者の子がいても、今までの友達とあそべないことは、子どもながらに「理不尽やな」と子どもなりに感じていた。
 学校に入ってから、「越境入学」などと影口を言われ喧嘩になったりしました。これは、目が見えないからしんどい思いをしたのでなく、教育行政の問題ですよね。それで、こんな目にあっている。けっこう、こういうことあるんです。中途障害の人は違うかもしれないが、見えないことそのものでしんどいのでなしに、ベテラン障害者は(一概にはいえないけど)あまりそういう様に感じていない。バリヤフリーが十分でない。適当でない。その、結果として障害者が困る。当初、同じ学校に行かれない事があったが、僕にとって、弱視学級、隣の学校に行ったら行ったで、楽しかった。僕はノー天気なんですね。大人は賢い面はあっても、構えてしまったりする。子どもは残酷な面も歩けど、割りと平気で喧嘩してても仲良くなる。人間関係の作り方ですね。
 いろんな人が世の中にいるという事を知ること大切です。しかし、同じ障害のあるもの同士が経験を分かち合うのも大切。理由は同じ情報を持っているからです。黒板は双眼鏡を使って見ていた。どんな双眼鏡で、いくらで、どこで売っているか?実際使っている人から聞ける。だからこそ、持っている情報。人間は多様な関係の中で生きている。(障害者は)いちいち(健常者に)説明したり、言葉を重ねなければいけない。自分が落ち込んでいる時、人に説明するのがしんどい時、同じような、似通った経験をしていて通じることも大切です。「お前、そんなことで、何落ちこんどんねん?」と笑われて楽になることがある。同じようなことを経験しているから、甘えだけでなく、厳しいことも言ってくれる。リアルなものとして受け入れてもらうには、その時は納得できなくても、後から落ちることもある。
 障害者が健常児の学校へという流れ。僕は必ずしも同じ学校へ行かなければならないと考えない。いろんな人が、いろんな形で議論してね。ただ、望む人が行くことはかまわない。でも、僕は無理やり行かされるのは絶対いやや。みんなに、当てはめる必要はないけれど、人と一緒が大変という人がいる。手話ひとつでも違う流派の手話がある。なんでも、統合教育?あることがらに集中するのに時間がかかる事がある。フリースクールといわれる学校。障害者でない健常者の人も(普通校で)しんどいことがある。障害が軽度で余計にしんどいこともある。

 それでは、これから、質疑応答の時間にします。何か・・。

Q 統合教育の話が出ましたが、気をつけなきゃいけないことってありますか?
A 学校がどこまでやらなければいけないか?っていう問題もあります。先生が変に気を使いすぎる、何かあるとすぐ先生が飛んでくる。子ども同士の自然な関係があって、さじ加減が難しい。「(障害のある人がいたら)手伝うようにしましょう」と表面的に美しいボランタリーに見えても、義務のようになって「これぞ、共生の事例です」というのは、車椅子を介助してもらう子も気を使う。僕は、教育の専門でないので答えになっていないかもしれません。

Q 震災の体験は?(まちづくり委員会の森山さん)
A 僕は大阪平野区で震災に会いました。被害は物損ぐらいです。部屋に荷物が散らかった程度で、神戸の人たちに比べれば・・・。余震で目がさめる程度です。

Q 自立支援法を応援(支持)している人はいますか?
A います。大きくマイナスでない、あまり、影響のない人。何かに期待している人がいます。危機感は、全身性の人たちより低く、温度差はあると思います。

Q私は、聴覚障害があり、今の聴力はオペで戻りました。いままで、傷つくことが多く、違和感や神経が疲れました。聞きなして傷つくことや、健常者が聞きなおしを嫌がります。私は身障手帳がもらえず、聴覚障害者のところは勤められない。就職に困っています。社会は就労の場を作ってもらえるのでしょうか?
A具体的なお話は出来ないけれど。僕の本にも書いたんですが、どっちつかずの大変さ。僕は、一見視覚障害者ととられない。勘違いされて必要なとき手助けしてもらえない。電車の料金表は高いところにあります。今は白い杖がありますが、なかった時、たずねて、怒られたことがある。今は誤解が少なく怒られなくなった。

(Q 聴力の手術をしに入院して、看護師の言葉を聞き返したとき、補聴器を使ったらといわれ、聴力回復手術の為に入院してきたのにと傷つきました。)
A 軽度の障害の中に重度の障害の人よりしんどい重いをしていることがあります。思ってくれないから、無理しなければいけない。出来ないのに、逆にしんどいことがある。一般の人たちに障害のある人は聴覚、視覚だけでなく、ひととおりではないよ。と伝えて生きたい。白い杖は周りへのシグナルになるが、聴覚障害者の補聴器はわかりにくい。(聴覚障害者と認識されにくいことがある)

Q 私は、(聴覚の)「障害は個性だ」と思うようにしていますが、大事なことは聞き逃してまい、私が声の大きさがよければ、障害者と取られず、いらんことはよく聞こえる。どこまでが普通というのかな?
A 「障害は個性だ」と自分は思っても、社会が思わなければ個性でない。自分が頑張っても、周りが理解しなければ仕方がない。とっぱしに話したドラマ。障害者は健常者が期待する障害者でなければならないか?それは違和感がある。啓発映画が作られるのはいいんじゃないか・・・。意味はいろんな障害者は多様であるということ。個人の努力でサスセスした。すべての障害者がオンリーワンなのに、そういうサクセスドラマが目立つし、そこに(意識が)いってしまう。それは、自分が問われずにすむから、外野で見ていることが出来るからです。(ドラマ・映画)を見ている人が引きずりこまずにすむからです。「あんたが変わることで、状況が変わるんだよ。」という状況をつくって、当事者として考えるストーリーはないのかと思います。
 部落開放問題も「おまえら、差別や!」と突き上げて、一部の人が動いた人がいます。それと同時に、自己批判をせまる仕組みばかりでなく、自分をもっと楽になるストーリーを作って(システム)行きたい。自分もマイナスそれもなくなったら、自分は楽になる。うまいモチーフがあればと思います。

Q 盲導犬がぐるぐる回って、飼い主の視覚障害者の人が困っているようでした。声かけていいのか迷いました。
A 飼い主もしっかりと犬のしつけをしなきゃいけないのです。困っているようでしたら、「何か手伝いましょうか?」と聞いてみてください。必要なければ「いらない」と言ってくれるでしょうから。

Q 学生の反応は?
A 比較的やわらかめな感があります。よく聞いているのか?お行儀がよいのか?そこは微妙です。大学は非常勤講師なので、講義のアフターはなく、提出物の文章で判断するしかないんです。ほんとのところはどうなのか?成績は一定ラインが取れていればよく、年に数人のレポートはよく自分で考えてるなって思うものがあって、僕がしゃべる意味があるなって思うんですが、全員に何かを伝えるということは不可能です。自分で考える、自分の問題として考えることそれが、何人かいたら、捨てたもんじゃないなって思うんです。 

End


 豊中市の豊中人権地作りセンターに約、30分遅れで2階の教室に入りました。
 17人の人が教室に話しを聞いてそのうち、4人は先生のサークルの学生さんのようでした。講座のなかにもありましたが、この講座は5分で、「どうしょう」と思いました。
 倉本さんは何時、息継ぎをしているんだろうと思うほど、機関銃のように声大きく、休むことなくお話が続くので、テープお越しのような記録では文字をメモルことでヒートしそうでした。それと、いろいろな角度でお話をしてくださるので、記録はぐるぐる回っているようで気を抜くと主語がどんどん飛んでしまうんです。これは正直疲れました。先生のパワーですね。講座が終わって、先生の「だれか、ふつうを教えてくれ!」の著書を紹介され、購入したら、サインをしてくださいました。その時、どのように膨大な学生のレポートを添削するのか尋ねたら、学生のレポートはフロッピーにいれ、音声変換ソフトで添削すると言われました。今日の話はよくしている話で、講義のときは、授業内容の教科書は暗記して講義するというのだからすごいの一語です。
 廊下のパネル展示は「共にいきるまちをめざして」 2006 3/10〜24
12枚のパネルは「優生保護法って?」とか「利用しやすいまちの法律って?バリヤフリー・ハートビル法・まちづくり条例」「バリヤフリー、ユニバーサルデザインってどういう意味?」「障害者権利条約って?」など10行ぐらいのパネル説明が張ってありました。
 静かなひっそりとした小雨ふる会館。頭だけ飽和状態。(超)おすすめの意味をかみしめた講座でした。

レポート 久保雅子



この文書に対する、感想、意見、各種問い合わせ

【地域生活を考えよーかい】
トップページへ戻る