地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

第21回医療と教育研究会報告

先だっての公開研究会の報告書です。
私の主観により、大いに誤記並びに誤認があると思いますがご了承ください。

作成日:2006年11月11日(土)
掲載日:2006年11月14日(火)
分責:地域生活を考えよーかい
李国本修慈

 テーマは「地域生活の医療的ケアを考えるフォーラム」ということで、今回は「地域生活」をキーワードに、「医療的ケアの必要な障害児の豊かな地域生活」を実現するための関係者の願い、課題、提言などを考えるといった目的で開催されました。

 医療と教育研究会については周知の通りで、毎年2回ほどの公開研究会を行っておられます。

 初めに飯野順子(事務局代表、経歴はいろいろ)さんからの基調報告があり、現状、特に東京都の…がありました。要するに、卒後の活動の場、社会資源が不足しているといった事がお話しされました。

 続いて、江川文誠さん(ソレイユ川崎=重症心身障害児施設・施設長/療育ネットワーク川崎代表)から、「地域生活を支えるネットワークづくりの理念と現状、そして課題」と題した講演がありました。

 内容は「どれだけ地域生活における医療的ケアの必要な人への社会資源が不足しているのか」といった視点で、氏の実践及び経験からの実態及び、思いを語っていただけました。

 それによると「まだまだ医療的ケアを要する方への地域生活という分野は闇の中である」と。私の実感では、そうでもないとも思うのですが、広く一般的にはそうであると言えるようです。

 お話しの中で、江川さんは医師であることから、在宅医療の変化について、医療の場が、病院(外来・入院)以外である「自宅」も、その場になり、更に「自宅以外」も、その場になってきたという変遷についての説明がありました。
 医療法の改正(多くは平成4年による)、そして介護保険〜支援費制度・自立支援法といった経緯で、自宅〜地域へとの広がりが続いたと。

 在宅医療への変換などが行われているのですが、なかなか進まない「それ」=医療的ケアを要する方への支援(医療)ということで、江川さん自身が、「自ら地域へ出て行くべきでは」との葛藤(?)があるようなことを仰っており、とても真摯な方であると実感できました。

 が、なかなかそんなことができるものでもなく、そこには、安上がりの地域支援の報酬設定があり、出て行かない(行けない)医療職(医師・看護師)の実態が浮かび上がってくる…といった印象でした。

 もちろん、地域での施設としての役割(もっと、もちろんの病院としての役割)があり、それ(こそ)が重要であるということも間違いないと思います。

 そして、障害者の生活支援の担い手の在り方を示しながら、乏しい(豊かにならない)生活支援(社会資源)の実態を紹介していただけました。

 その不足について、「通所施設への看護師配置」や「ショートステイの不足感」、「ようやく登場しつつある在宅療養専門診療所」、「足りない訪問看護ステーション」といった実態を明らかにされました。

 そして、自立支援法における「ケアホーム」での支援がかなうのか?といった問題提議があり(凡そかなわないと考えています=私ですが、大規模法人なら、施設的な発想で可能かな?とも思うのですが…⇒そこにはミニ施設化という、想像するに恐ろしいモノが私には感じられます…)、医療機関にこそ、期待している(国が、という意味であったかと思います)のではないか?という事を仰られていました。

 確かにそうなんですが、ほんとは(誰にとってのホントなのか?ですが)、小規模法人、いやいや個人としての「暮らしの場を創る」ことが可能である法律にしてほしかったのですが、そうはいかない(と言ってしまうと全くの希望がなくなるので、「そうはいきにくい」と訂正ですが…)法律になっているのではないか?と改めて実感するところです。

 更に、重度訪問介護や重度障害者等包括支援についても言及されていましたが、そのイメージも私とは異なったモノで、そこへの期待感と、不可能感があるといったお話しでした。

 重度訪問介護に関しては、今出てきたサービスではないですし、そこには、「質(語弊ありですが、医療的ケアなどを指すとすれば)」を求める以上に「量(サービスの時間)」を求めるものであり、「重度障害者等包括支援」においても、その単価設定であるとか責任「24時間対応」というものが保てない(保てるはずがない)といったことから「事業者が出てこない」というニュアンスの発言があり、そこらあたりが、私たちのように、既にやっている(やってしまっていると言った方がいいのか?)者にとっては、発想が少し(かなりか?)違うのかなといった印象でした。
(実際に、「寝屋川市民たすけあいの会」等は指定を受けています)

 そして、施設(大規模法人)としての取り組みや地域医療の広がりなどを語っていただき、自ら「医師が中心となること事態が?」というようなニュアンスの発言もあり、更には医療モデルではない発想を持った医師というイメージで、とてもステキなお話しでした。

 こういった医師がたくさんいればいいのですが、なかなか悲しいかな…の実態が改めて浮き彫りになること、更には医療職と福祉職、更には生活支援職(草の根的な活動者を指します)の処遇の差(要するに報酬金額)を痛感し、「そら出てこんわ」と変に納得してしまう、毎度のパターン感でした。

 午後からは、シンポジウムということで、赤塚光子さん(立教大学)がコーディネーターとなり、大塚孝司さん(バクバクの会・会長)、岩城節子さん(東京都重症心身障害児者を守る会・会長)、川口有美子さん(さくら会)、小室謙二さん(救護施設・くるめ園)、杉並区の課長さんが参加され、貴重なお話しが伺えました。

 大塚さんや川口さんは言わずと知れた活動を実践されている方々。

 話の大筋の流れでは、テーマである「医療的ケア」を要する方たちへの支援の方向としての取り組みを、広範かつ確実にステップアップしていく方法という点が語られていたように思い、これまでの学校教育現場で、数年かけて行ってきた実績を杉並区あたりでは、卒後の場=通所施設等にも活かしていこうといった画期的な取り組みや、バクバクノの会やさくら会さんによる積極的な「養成研修」が紹介されました。

 川口さん等の言う、「医療的ケアの拡大の歯止め」=「徹底した研修におけるスキルアップを伴う援助行為として」という事は、強く共感できる=我々の実施の在り方についても省みる必要が大いにあると考えていますし、常にかつ重ねた研修の必要性は実感できるところです。

 只、杉並区の課長さんや飯野順子さんが仰っていました「法・制度による限界」について、どうするのか?といった事、毎度、このテの議論では、そこに行き着くのですが、課長さんが苦渋の表情でおっしゃってました「我が区では、人口呼吸器の方への対応まで踏み出せなかった」との言葉が、強く印象に残って(残ってしまう)おり、それこそが問題であると感じてしまう、毎度のことです。

 私たちが行っていること、例えば先にあげた24時間対応であるとか、報酬ありきどころか、「何も無し」=「ここに人がいる」的な発想と、それに即した活動というのは、やはり困難(当たり前か)であり、そういったことを拡げる…なんてことは不可能に近く(ほんとに構造改革の目的ではなかったのか?の規制緩和をすれども増えなかった草の根活動者という実感があります)、そうであると、東京や神奈川の取り組みという手法が現実的かつ正当であると言えるのかと思いました。

 しかし、あえて私なんぞは、「ぷりぱ方式」とでも言うのか?の、「即時性を持った、目の前の人への寄り添い」から生まれるスキル=その人との関係のみに作られる親和性(おそらく研修によって作られた専門性よりも優れたものだと思います)による支援こそが大切であると考えています。

 もちろん誤解の無いように記載しておくのは、「研修」の必要性を否定するものではないということ。
私たちも平成16年度には週二回・2時間の研修を半年間行ってきたのですが、それも制度の変革と共に実施ができなくなっているという現実もあります。

 そう思うとやはり、川口さんも仰っていました「裏付される基盤(支援者を作るための財源)」というものが必要で、なかなかそれを、今の自立支援法には見出しにくい…というのも現実で…。

 江川さんも仰る「根性のある訪問看護ステーションの出現を望む」にしても、「難しいわな」…となっちゃいますし、広いカタチでの、今回のテーマの実現というのは未だ未だ遠いと言わざるを得ないのかも知れません。

 と、江川さんも私たちが考える「通所療養介護(通所看護)」の可能性についても言及されていました。
 只、そういった取り組みにより、少しずつ前進していることは間違いはないということ。
 されど、私らは、そうは言ってはおれない訳で、「今、ここに居る人」への即行性こそが必要で、このスタイルは継続したいものですが、この方法ではなかなか支援者が増えないのも事実です。

 そして、厚生労働省から出てくる通知(医療行為の解禁などと言うのですが)により、かえって縛られていくといったことも事実で、「モラルハザード」などという言葉により嫌な圧力がかかることも懸念されます。

 その言葉によって、今受けている支援が制限されないようにと思うことと、なんだか、自立支援法における「障害程度区分認定」こそが、「モラルハザード」のなし崩しではないかと思ったり、それが善いのか悪いのか?(私はそれでいいと思うのですが)、いやいや、根本的な、その在り方こそを考えねばならないのでは?と改めて思うところです。

 そういう意味では、大塚さんの言う(これまでにも言ってこられた)「生活支援行為」という表現が最もしっくりくると思っています。

 と、「業として」の実施を目指すとすれば、やはり時間がかかりすぎるという印象は拭えず…で。
 広範な法律・制度との整合性もとりながらの展開を進めながら、即時の必要性にも応じ続けられる対応の継続をと思うところです。

 そうなると「24時間戦えますか」状態がいつまでも続くといったことになるのですが、それでも、やっぱりそれも今(何時まで続く?)は必要で、もっとそんな気概のある人が現れてこないものか?(こないですね)と思ったり。

 いつもこのあたりに落ち着く(ぜんぜん落ち着いてはいない)のですが、今も明日も続く彼・彼女らの暮らしをしっかりと…という思いは大切にしたいと思います。 

本文終了


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