作成日:2009年1月1日(木)
掲載日:2009年1月6日(火)
分責:特定非営利活動法人地域生活を考えよーかい
既に、2009年となっているのですが、件名の報告を以下に記します。
なんとも楽しそう(?)な合宿が、去る2008年12月29日〜30日に、千葉県千葉市で行われ、参加させていただきました。
この、楽しそうな会の仕掛け人は、S沢さん(中核地域生活支援センター・長生所長)とN川さん(社会福祉法人さざんんか会・のまる施設長)のお二人。
S沢さんとは、10年ほど前にお会いして、その独特の雰囲気に魅力を感じたりする、私よりひとつ先輩のイカシタ方です。
N川さんは、こんな業界にいますと及び聞きますステキな方で、そんなお二人が企画(というか、ほとんど呑みながら思い立ったそーです)した会で、これは参加せねば…と思い、超多忙な次期に行ってみました。
案内には、テーマとして【私たちは障害者の暮らしにどう関わるのか】という文言が踊って(?)まして、なんとも誘われる(?)といった感じでした。
そして、当日、へろへろの中、東へと…、朝の6時に出発。
現地に着くと、馴染みの(と言ってもこの10年ほどの間に数回ほどしかお会いしていないのですが)みなさんがいらっしゃったりで、「場」「会」「人(々)」が苦手な私としては、ありがたかったりで…。
と、どうして千葉県か?というと、その昔(一昔前=10年程前)、こんな商売(というよりも活動)をする(しようとした)際に、大きく影響を頂いた「東葛(千葉県)」地域のみなさん、当時(90年代後半)、「地域生活支援」などという言葉も馴染ませていただいた「選べる福祉ネットワーク」やその(?)ML(メーリングリスト)で、ほんとに(異様なほどに?)お世話になってまして(当時、けっこうな頻度で千葉や東京に行ってました…運送業のアルバイト=交通費タダで/笑)、そんなみなさんと今も、けっこう繋がっていただけてたりで、ほんとに感謝です(対人恐怖的な私にとっては、当時のインターネットの持つ力、そこからいただくモノは、ほんとに貴重かつ大きなもので、ほんとに時代の産物に感謝でした、いえ、今も感謝です)。
で、場所は「ウェルサンピア千葉」という厚生年金休暇センター研修室。
まずは、S沢さんからの趣旨説明があり、その後、参加者みなさんの自己紹介と続きました。参加者は千葉県内と兵庫県(私のみですが)から約20名(しっかりした数を把握できてません)。
そして、いわゆる中堅(どころ?)という三名の方が、順次、基調報告をされました。
まず、O野さん。社会福祉法人さざんか会ケアホーム主任生活指導員という立場から、これまでの自らの経験を語ってくださいました。
印象的だったのは、子どもの頃、いわゆる「しょうがい児」との関わりが「嫌」ではなく、むしろ「心地よかった」ということ。
そして、なんとなくなにもできない(というような自覚を持っていたように感じました)自らというような表現を使いながら、入った世界(業界?)が福祉の世界(変な言い方ですが)であったということで、経験を積む中、自らが変化したこと、施設(入所施設)とケアホームとの生活の違い、あるいは施設での限界的なことも語ってくれました。
中でも、知的障害といわれる方々の、いわゆる自己決定の在り方にも言及されてまして、なかなか明確な答えは無い(あたりまえなんでしょうが…)のですが、「理由のある制限」であるとか、「居ざるを得ない中(場所)」での支援者の在り方等を連想させてくれました。
ご自身のお名前のとおり、真摯で誠実な人柄が見える楽しいお話しでした。
そして、このお話の中で(も)、気になる「理由在る制限」、「居ざるを得ない(場所)」という文言。
もちろん彼(ら)も、それを善しとしている訳ではなく、そんな中から、時代の流れもあるのでしょうが、例えば「ケアホーム」だとかの「暮らしの場」を作り上げてきているようです(事実、さざんか会さんは素晴らしい取り組みを行っている社会福祉法人さんであると認識しています)。
続いて、F川さん。社会福祉法人九十九会・槙の木学園に働く、見るからに好青年といった感じの方でした(マジックも披露してくださいました)。
彼のお話しの中でも、関わる中(時間)から、自らの考えが変わっていくということを感じさせられました。
そう考えると、こういった仕事(活動)、働く者を変えていく力があるんだなぁということ、それこそが、支援者等という者と同等(あるいはそれ以上)に力を持つ支援を受ける人達と思ったりしました。
また、彼は、とてもユニークな発想(のように思えました)で、四六時中、槙の木学園に留まり(敷地内での住み込みもされたと言います⇒すごい)、子どもたちと過ごしてきたと言い、ほんとに親身になっての関わりを作り上げ(実際の実践等もお話しいただけました)てこられたということでした。
そして、ここでも、自己決定(のようなこと)が論じられるのですが、例えば「親の代わり」、当人の為の決定は「どう行うのか?」について、特にもつれた(他者の集団では決定し難い)際、あるいは大きな責任(?)、例えば「進路」等という際の決定はどう行うべきか?といったことが論じられました。
そのあたりについては、明確な答えは出なかったのですが、本当に切羽詰った際には?ということをしっかり考えていきたいと思いました(私なんぞは、かんなり勝手に、人のそれを決めちゃったりしているのですが…)。
只、私的には、例えば「家」であるとか「親」であるとかは、「居る(ある)にこしたことはない」のだけれども、「居ない(無い)としても」、「なんとかできる(いける)やん」という、そういった感じが好みだったりするのですが(ええ加減の無責任なような感もあるのですが)…。
にしても、彼も、その真摯な姿勢、な故にか、後に話を聞くと、いわゆる「折れ(挫折)かけた」こともあったと言い、今も尚、新たな視点を持ち続けている様に感じられました。
そして、最後にS司さん。中間地域生活支援センター海匝ネットワーク・GH等支援ワーカーというお仕事をされているということで、千葉県独自の「障害者グループホーム等支援事業」の紹介をしてくれました。
お話しの中では、S沢さんからの言葉を例えて「困った人をほっとかない」ということを自らの中でしっかり持ち続け、「地域」「共生」といった街づくりを目指したいという意気込みをお話しいただけました。
又、自らを「プライドの高い人間だった」と振り返り、硬い頭を勝ち割ってくれた(今後も割ってほしいそうでした)ことに感謝しているようなことをおっしゃっていました。
ここでも、やはり、そうして人を変化させる(あたりまえなんでしょうが)力が働いていることを実感したりしました。
幻想的であるような「地域での共生」なんでしょうが、そんな理念を如何に具体化していくかということ(こそ)が大切なんだろうと思いつつ、私自身も何かと行ってきたことが、大きく実を結ぶという実感は薄いながらも、そう思い続けながら行っていくということの大切さは改めて感じさせていただきました。
そして彼もまた、なんとも誠実な人であることを感じさせていただけました。
続いて夕食後の夜の部では、昼間の報告を受けて、参加者みなさんから様々なお話しが聞けました。
特に印象的なのは、先にも出ました「決定の在り方」。三人さん共に「法人」を背負っている(?というか、法人の誰それ)といった感じが強く感じられ、もっと「私が…」といったイメージが欲しかったといったことや、また、その責任とは、どのような(大きさ?な)ものなのだろうかといったことが疑問に思われ、触れられました。
その点については、結論は出なかった(出ない)のですが、諸先輩方からは、それこそ「私が…」の強い思いを引き出したかった(?ように感じられました)点と、また「親の代わりはできるのか?」といった視点からも、「親にはなりきれない(ながら)…」といった意見と、法的には(たとえば児童施設では)、「親で有らなければ(親の様々な意味での代行として)」ということの指摘もありました。
また、法人としての意見の結束こそが最重大であるという意見と、なかなかそうはならない中での方向性(少し表現違うようにも思いますが)とがある…というような議論もありました。
いずれにしても、少なくない参加者が、確固たるものを持ち得ていない(…で当然だと思うのですが、また持ち得ていらっしゃる方も居られました)中、様々な思考や発想を抱かせていただける内容でした。
そして、あっという間に夜となり、入浴を済ませた22時過ぎから、翌朝4時過ぎまで、様々な議論が取り交わされました。
内容は多岐に渡り過ぎなので、全てを記載できない(のと、酔っ払ってて覚えていない部分が少なくない)のですが、何点か、記憶に有る事を以下に記してみます。
若い(中堅)職員が、変化しつつ、自らの考えを創っていっているということ。
またそれは、こういった職(活動)の特徴であり、人と直接相対することによる「力」の凄さを思い知りました。
それとは違った点で、「あまりにスマートすぎる」といった指摘もあり、「俺(私)がやる」といった思いこそをもっと前面に出してもいいのではないのか?だとか、解り得ない「人の決定」を「せざるを得ない」際に、そこで、最も近い(と思われる)者が決定をしてもいいのではないか(…というか、それこそせざるを得ない)ということ。
そこにある「責任」によって躊躇するのか?、その(決定の)大きさに躊躇するのか?(他愛無い決定は決行しちゃっているし⇒理由ある制限などとの文言とともに)といったことも考えさされつつ、じゃあ、決定せずにいく事はどうなんだ?という議論まで、ほんとに楽しい(?)内容でした。
そして、繰り返し「やらざるを得ない」ことを行い続ける支援者として、その中にある思い(マイナス的なのではないのか?と思いつつ行うこと)が、どれ程の比重を占めているのか?ということも非常に気になるところで、「得ない」ことを永遠・遥かに続けていくのか?、それとも、どこかで「得ない」ことを打破できるのか?しようとする思いは如何程にあるのか?、またそんな思いは「業」として行っていく中で、持っておくべき(なんだと思うのですが)ことなんだろうか?と言うか、持ってないといけないことなんだろうか?等々、「?」は尽きないものでした。
責任の所在という言葉と、されとて不鮮明な自己決定をも含めた上での「あるべきカタチ」はどうなんだ?と、毎度のことながら考えさせられました。
そして、翌朝は、(様々な場面で周辺社会・地域等に)「誤り」続ける諸先輩みなさんの言葉について、「そんなに謝罪」が必要なのか?という切り口で、大いにお話しは盛り上がりました。
「迷惑をかけて人は生きていく」のでしょうが、本当にそれが迷惑なのか?、特に「しょうがい」などといわれる方々の行い(多くは、その行いよりも、行いに対しての他者=周辺者の感じ方なんでしょう)が、「迷惑」で、「謝罪すべき事」なのか?といった議論が白熱し、様々な事例を持ち出しながら多くの参加者が意見を述べられました。
結果(にはなっていないのでしようが)、「迷惑」でなく、「不当」なこともあるのですが、「不当」はそれとして、しっかりとした説明を永遠と続けていく事、その理解を「得る手段」としての「謝罪」も有り得るということ等が語られました。
また、「迷惑」とは、その方の主観であるわけで、その部分については(そういった感覚=人権感覚だとか、意識?は持ち得ていないという状況で)、「謝罪する」ということも、決して間違いではないのではないだろうか?といったことを感じました。
もしかしたら(極論的ですが)、「謝罪」と「感謝」は近いモノかも知れないのかな?と思ったり。少なくとも、「迷惑(あるいは怒り)」の対象として(でも)、それがやり取りされる範囲内に共にいるということですから、それはそれでなんとなく近いコト(モノ)なのかもしれないなと感じました。
そういう私自身も、相対する方に対しての口癖は「ごめんね」だったりで、近隣みなさんへの挨拶は「すいません」が筆頭語だったりする訳で…。
こんな「ごめんね」も、「せざるを得ない」「やむを得ない」こと(支援と称して)を続けることへの謝罪と自戒であったりする訳(のような気もする訳)で…。
ほとんど不明な報告となりましたが、声かけ人のお二方の言葉としての「困った人がいてもほったらかさない」だとか、「やむを得ない?際の決定は俺(自分)が行う(というか、それこそ行わざるを得ない?)」だとか、「人として」どう相対するのか?ということが、テーマである「暮らしにどう関わるのか?」といったことでしょうし(まったく答えとなっていない)、そんなことを強く考えさせられる有意義な合宿でした。
そして、若い(私よりもという意味)職員さんたち、そんな「思い」との狭間で、「私的?(個人的)」な部分と「業(職)」としての部分をどう切り替えていけばいいのかを悩んでおられるようでした。
なかなか難しいところなんでしようが、そこらへんは多いに悩みながら、もしかしたら、ずっと、いろんな方々が、いろんな方向に向かって「謝り」続けながら行かねばならないのかも知れません。
只(たぶん、あまり自信ないですが)、人の暮らしは機械的には相対せない訳で、今、より(たとえば抜本的な改革と言われながら行われている事など)無機的(語弊ありか?)な方向へ向かうことは、躊躇せねばならないと感じます。
連続し続ける「暮らし」に対して、切り売りのサービスでは、やはり無理があり…。
だからといって、まったく釣り合わない、彼らの活動と労働の中身があって…。
と、合宿でお会いした方から、後ほどメールをいただき、「仕事なのか、仕事でないのか割り切ってやることよりも、人としてのつながりを大切にしていこうと思います」という言葉をいただきました。
悩ましいまま過ぎる年の瀬〜新年でしたが、心の根底には、「せざるを得ない」ことをとことん変え(ようとし)ながら、「謝り」続けながら、がんばっていくことなのかしら?と、そんなふうに思いました。
何より、そんな頑張る気をいただいた千葉の皆さんには、ほんとに感謝です。