地域生活を考えよーかい


こどもたちをまもろーかい9月度定例会の報告

作成日:2002年9月6日
掲載日:2002年9月11日
作成者:李国本修慈

中野東センターで、20時から行われました。参加者はたったの二人というかなり淋しい会場でしたが、父親の子育てはいかに??といったことで、話してみたのですが、「子育てに関心がない父親」が多い・・・というお話し・・・、以外に実感ないのですが、そんなもんなんでしょうか??といった感もあるのですが、かんなりおかあさんにまかせっきりってなことが、けっこう未だに(今でも)あるようです。このあたりの実際のデータがあるわけでもないのですが、またいろんなご家庭の様子なんかもお聞きしたいところです(データといえば新聞紙上などでは、そーいったデータはよく見かける)。

せんだっては「ひまわりママパパくらぶ」という、伊丹ひまわり保育園を今春卒園された方を中心に集いを持とうと企画したところ、多くの母子が参加していただいたのですが、やっぱりそこにも父親の参加が2割のみといったことで、こんなもんなんかしら・・・ということを感じたのですが、また、PTAの活動にしてもほとんどが母親が主体といった、未だに・・・といった状態が続いてまして、なんの因果かその中に入ってみて感じることは、その流れを変えるのは容易ではないというコト・・・というところが素直な思いです。

またPTA活動への男性参加に関しては「伊丹まちづくり会議」という市民団体さんが昨年度に行った調査を基に伊丹市民活動調査・研究委託事業を受託し「オトコが入れば地域が変わる、オトコも変わる」といった調査報告書を1冊の冊子にまとめたものを今春発表されています。この冊子については僕のところにも若干の在庫がありますのでご希望の方はどうぞお申し出ください。

ということで、参加者が少なく実際例などが聞けなかったのですが、自らの子ども時代とはかなりの変化があること、子育てにかかわりたい(かかわれないといった現実があること)ということ、今しかかかわれないのではないかといったことなどが語られました。

と、反抗期についても話題が及んだのですが、とある説によると幼少期のスキンシップの不足が思春期に無意識的な反応として反抗といったカタチで現れる・・・といったことが持ち出され、その説が全面的に肯定されるかはおいといて、「そう言えば・・・」と思ったりしました。

また、反抗期に対して、その原因は・・・なんてことをお話しする中で、実際の子どもの言葉として「もっと私の言っていることを聞いて欲しい」「片手間に(おとうさん、もしくはおかあさんが)聞いている」といった言葉があり、ここに強く反応しました・・・個人的に・・・。

そういった言葉を聞くと、やっぱり子ども達は「きっちりと聞いて欲しい」「言いたいことを伝えたい」という思いがあるのでしょうか?、と考えるのと共に、それは大人にも言えることで、我がファミリーを考えても、ゆとりのなさからの親子の衝突、そして子どもに対する夫婦間のバランスの不均衡(量的、と、質的もだったりして・・・)が、その誘因となっているなぁ・・・といつも感じているところです。

こどもの反抗期に対して、その原因を考える・・・ということはなかなか難しい面(余裕を持って考えるという意味で)もあって、それこそ、父親の位置付けが大切ではないかとも思うのです。と、やっぱり、子ども(どのあたりまでかの線引きはないですが)、特に小学校時期は、おそらく比較的親(大人)に対して従順な発達段階期であるといえる中、親はこどものちょっとした気になる言動や行動に、すぐ(直に)注意であるとか叱責(しかる・・・、よりも、もっと感情的な怒るという表現が近いかな?)しちゃうところがあるようで、そのことで、こどもの秘める思いなんかを考えて(想像して)みようなんてな発想が起こりにくくなっているんではないかなぁと感じました。

今回のお話し内容にも、「考えを換えて、しかる前に子どもの気持ちを考えるようにしたら反抗傾向が減少したように思う」という発言もありました。

にしても、おとーちゃんの役割も大切だなぁと実感・・・。

もちろん、母子家庭という形態だってありますし、父子家庭というのだってある。ましてや両親不在というカタチもあるのですが、ここらあたりは、また違った場面で議論してみたいと思います。

と、僕自身のことを引き合いに出してみて、けっこういろんなところでしゃーしゃーとしゃべってはいるけど、実は対人恐怖や離人願望があったり・・・ということをあげ、考えてみると、まぁ、例えば超一級の営業マンがその人の暮らす地域で社交的で通っているのか?と見てみると、必ずしもそんなこともなくって、会社の看板なんかを背負ってるからそう振舞う・・・なんてこともあるってなお話しも出て、なんだかいつものように話しにまとまりがなくなっていったのですが、ひとつ、オトコが入っていきやすい、そこで盛り上がるような場面を創り出すことはできないか?などが話されました。

たとえば次週に行われるふれあい清掃なんかには、今年からは休日実施で、そこにどれだけの方々が(父親も含め)集うのか?、集う方々の繋がりはどんなふうに創られるのか・・・、や、月末に行われる運動会での父親の参加はどのようなもんなのか?、もっと父親が入れる(入りやすい、前面に出て盛り上がる)カタチはできないだろうか?などが話されたのですが、これも言うが易しで、そこ(企画)にはいれそうな位置にはいる自分ですら、なかなか実行には至ってない(至れない、と言うと言い訳か・・・ですね)。

ということで結論のない(まぁ、出ることでも無し、出すつもりもナいのですが)話しで終始したのですが、子育てのひとつのバロメーターとして、自分の子どもの友達の名前(顔と一致する)を何人知っているか?なんてのが言えるのではないかという意見があり、なーるほど・・・と思った次第でした。

それから、伊丹がけっこう新聞紙上に出てきちゃうケースが相次ぎましたが、学校の先生の資質、と、言うより(言うのと)、そこで働く先生たちのストレスが蓄積しやすい空間にもなっているんじゃあないか・・・学校・・・、といった指摘もありました。

そんなこんなで、学校オンブズマンであるとか、ISO導入とか、いろいろ考えてみたりしてるのですが、身近な我々がもっと学校と会話するチャンスを創らないと・・・と思う次第です。それこそPTAじゃない?って、思うんですが、いかがでしょうか?

また、次回も同様ネタでお話し会をする予定です。どうぞ、みなさんお越しくださいね、と。以上でした。


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