地域生活を考えよーかい

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第2回ラーの会 西宮大会 感想


掲載日:2012年4月4日(水)
報告者:特定非営利活動法人地域生活を考えよーかい
mailto:kunimoto@kangae-yo.com

第2回ラーの会(重症心身障害児・者といわれる方々らと共に生きる会) 西宮大会
報告(というか感想ですので誤認・誤記があると思いますがご容赦ください)

李 国本 修慈

 2012年3月24日土曜日、兵庫県西宮市勤労会館にて表記の大会が開催されました。
 最初に、どんより曇り空、時折雨も降る生憎の天候の中、全国各地からお越しいただいたみなさん(総勢150名以上の方が参加くださいました)、大会の準備から運営に関わっていただいた青葉園職員のみなさんに感謝申し上げます。
 さて、大会の中身ですが、参加されたみなさんがそれぞれの思いを各自のブログに記録・発信していただいています(以下にURLを記載していますので、私なんぞの報告をそれらしく(公式報告みたいに)書くこともないでしょうが(というか、そのようにうまくは書けないので…という言い訳でねすいません)、私なりの(かなり偏った)感想として記しておきたいと思います。
 まず、ラーの会ということについては、第2回ラーの会西宮大会開催概要案※1)に記した通りですが、今回の大会で、「ラーな思い」というのは、単に「重症心身障害」といわれる方々のみを特化していくということではなく…ということを改めて感じ得たこと、「ラー」という言葉の意味は、単なる「美味しい・旨い」=「好き・愛している」ということのみならず、まさに「おもろいこと」※2)、「けったいなこと・やっちゃ」※3)ということであるということを再確認できた大会であったということを以下に記しながら確かめていきたいと思います。
 まずは第1部、「この国のこの情勢の中で一人ひとりの『存在の価値』を取り戻すために」〜障害者制度改革の行方、今、私たちが向かわなければならないこと〜と題して、コーディネイターに大熊由紀子さん、コメンテーターに冨田昌吾さん、喋り手として北野誠一さん、清水明彦さん、私(李国本修慈)という布陣で始まりました。
 実は、ここに至るまで(大会そのものがそうなんですが)には様々なアクシデントがありまして、大熊由紀子さんの予定も無理からにはめ込んでいただいたり(明確な依頼をしたつもりができてないことに1週間前に気付き大変だったり)、大会当日には、その大熊由紀子さんの到着が遅れそうだ!(結果的にはぎりぎり間に合ったのですが)とか、大会の顔とも言える横断幕もぎりぎりのタイミングで到着するなどヒヤヒヤしっ放しの1日でした。
 更に言うと、このムチャ(苦茶)な流れの中に身を投じて、と言うか、引きずり込まれて、更には当日壇上でのゆきさん(大熊由紀子さん)からの注文に応えつつ、勝手放題に喋り捲る喋り手の言葉を解説(解釈?通訳?)していく冨田昌吾さんのヒヤヒヤ度も相当なものであったのかと想像するのですが、頭を掻きつつ、苦笑いしつつ、見た目には「サラリ」と明確な言葉を投じ続けるトミショー(冨田昌吾)さんの凄さ(ステキさ、けったいさ)にも大感謝で、この場で改めて御礼申し上げます。
 さて、その1部ですが、大熊由紀子さんに以前巡っていただいた尼崎・伊丹・西宮のこと※4)をお話しいただくことから始まり、コメンテーターを含めた喋り手みなさんの「重症心身障害」といわれる方々らとの「馴れ初め」を求められ(無茶な依頼への仕返しと仰っていましたが^-^)、本題へと移っていきました。
只、本題は「この情勢の中(制度の云々)で」…であったのですが、この大会の狙い…計算・算段等はほとんどなく(事前打ち合わせも無かったりで)、あったのは「ひろげたようにみせかけて、いったんかわして本質化する寝技」(清水明彦さん談)という訳のわからないカタチで進みましょうということでして(ここまで書いて、読んでいただいている方には大変解りにくくて申し訳ありません)、そんな内容となりましたので、以下へ。
 まず、清水明彦さん、私自身はここ数年、かなり濃密にお付き合いさせて(というか、お世話になっていまして)いただいてまして、その解りにくい言葉のひとつひとつをなんとなく(というか無理からに^-^)イメージしたり(ほとんどできてはいませんが^-^)しているのですが、初めて清水明彦さんのお話しを聞く方等には解りにくかったのかも知れません。
 特に、今回の言葉の中での、というよりも、1部の、あるいは、今大会の核心的な言葉である(と思う)「白い革命」…「白旗を振りながら笑顔で」という感じ。感じれる方には感じられるかも?というか、おそらく多くの方々が持ち得つつも言葉にできなかったような感じのイメージの言葉ではないでしょうか?。
清水明彦さんは、今回、数十年前の出来事を例えに、その(笑顔で白旗を振る・白旗を振りながらの笑顔の)美しさを言葉にされたのですが、清水明彦さん自身も、この間(制度改革推進本部の立ち上がり〜総合福祉法骨格提言〜厚生労働省案〜新法の閣議決定)の出来事について、大きな挫折感(という言葉等では言い表せない程のものだと思います)等があったと思うのですが、「それでも」という向かい方、見据える方向は、まさに「白い革命」の思想によるものなのかと思ったりしています。
 そして、北野誠一さんも、繰り返し、この国の(あらゆる部分の)未成熟さ(ここには記せない程の言葉の数々もあったりで^-^…けっこうヒヤヒヤしてました→北野誠一さん・大熊由紀子さんの発言)を指摘しつつ、「戦略を」と淡々かつ力強く言い放って下さいましたが、そこにも、例えば「なんの展望も無いが、おもろいなぁ」だとか「おもろくしていかなしゃあないねん」、更には「これからがおもろいやん」と、凡そ騙され続けてきた者(ご本人の言葉から/語弊あれば申し訳ありません)の言葉とは思えないひと言ひと言に、「白い革命」の真髄があるのでは?と感じたものでした。
 第1部に象徴される(?)ように、今大会は「とにかくまとめない」「はめこまない」という方向(そんな方向ありか?なんですが)の中、大会の前日や前々日に清水明彦さんと確認した言葉は「もしかしたら誰にも解らんかも知れんが、我々が本気でおもろがったらええねん」ということでした。
 もしかしたら、このことが、ラーの会、白い革命の原点であるのかと思ったりで、「なんやわからんけど」「ぜんぜんいけてないんやけど」の人々が「それでもおもろがって(面白がってとは違います^-^)」、そんな方々がどんどん白旗を振りながら笑い続け、そうすることによって、オセロの黒がパタパタと白に変わっていくような価値観の転換が起こるのではないだろうか?、もちろん、そんなことは絵空事という方々もいらっしゃるでしょうが、「それでも」、「なにがどうでも」ということが、それなのだということを感じ得られれば、これ以上のことはありません(と、ここまで書いて、やっぱり訳が解らない、自ら…となってたりでして、すいません)。
 そんな1部の中、私はあえて喋り手ではなく、こんな豪華メンバー(私を除く4人の方はまさしく!)ですから、常日頃思っている「悶々とした思い」※5)を投げかけてみました。
 その応え(答えでは無く)として、コメンテーターの冨田昌吾さんが明確に記してくださっています→(ここから)この10年劇的に制度は変化し、長年の運動の成果もあって、制度化されたことがあることは疑いのないことかもしれないけれど、この制度化によって、制度に振り回され、制度に支配されていることもあるわけで。制度は使うものであって制度に使われてはいけない。でもそれは、制度を否定し、制度化からのがれるものではない(ここまで/冨田昌吾さん自身のブログから)。
 このことは、第1部のみではない、この大会に応えた言葉であることを確認できたことはとっても大きな成果だったと思います。
 只、私自身は、それ以上に心に残った場面として、第3部終了後、ようするに今大会の最後のコーディメンター(これすらもなんやねん?ですが…一応の意味は「コーディネイターとコメンテーターを掛け持つ役割者」です)としてトミショーさんがお話しされた言葉「職権乱用ですが(のような言葉)」を前置きに、自らの暮らす地域を例えにしながら「貧困」であるとか「(支援の)受け手となろうとされない方」等の問題を提起してくれたのですが、そのことが、私たち「ラーの会」が落としてはいけない大切なことであること、要するに、逃れられない法制度の流れの中で、戦略を持って突き進む際に見失いがち、あるいは見落としがち(しかも故意にだったりだとか、それは致仕方なくという文言で括ってしまったり)になってしまうカタチ・流れこそを絶えず意識して進んでいくというような…。
 ですが、ラーの会の今大会を通じて感じたことは、おそらく参加した多くの方、特に当事者といわれる方々(もちろん家人等を含む)、白旗を振ってきた方々こそは、その大切なことを置き去りしてしまうカタチは望まない、当たり前に、そうされてきたような実感の中、その大切さを持ち得ているのではないだろうかということ。まさにそのことが、白一色のオセロ盤に成り得る力なのでは?と感じた次第です。
 そして、第2部。ここは本当に青葉園みなさんに感謝です。これまでに凡そ無かったのではないか?というかというカタチの試み。というか、彼女・彼らが壇上に居るということのなんだかとってもワクワク感を感じた方はたくさんいらしたのではないでしょうか?。
 そして清水三季さんの言葉。最後の「ばらばらでいいねん」という言葉と、私はそれ以上に「支援者は時間になったら帰って行く(んだから合わない支援者でも我慢?するのが大人だよ!というような意味だったと思いますが)」という言葉が染みました。
 なんて言うのでしょうか?、「支援とは?」とか、「労働って?」とか、まさに24時間、他者の力を借りて生きていかねばならない(と書いて、この言葉すらも障害者といわれる方のみのことではなく、全ての方が24時間誰か、あるいは何かの力を借りて、あるいは用いて生きている、あるいは生かされていると思ったり…混乱してます^-^)中での「支援」と「労働」の擦り合わせもどうなんだ?とかをマジマジと考えさせられたりでした。そして、三季さんと共に、これまた突然な依頼に快く 応じてくださったコーディネイター役の増田真樹子さんにもこの場をお借りして感謝申し上げます。
そして第3部。ラーNshi(今大会をそう呼んでいました)の1日を締めくくるセッションで。実は前列に座っていたのですが、最終に向けての時間調整等々を考えつつ会場を出たり入ったりもあって、しっかりと聞けておらずで申し訳ありません。
 で、先発は名里さん。ご存知の通りの「訪問の家」/「朋」で30年近く(ご本人さんの配布資料によると28年)様々な方と「向き合い続けた人」らしく(長けりゃいいというものでもないのでしょうが)、また、そのお人柄(それは天性なのか磨かれた感性なのか?とかいつも考えたりなんですが…)なのか、配布資料のサブテーマにもある「共に在りたい私の思い」の文言からも感じ取れる自分観というか、おそらくご本人さんのみの主体ではなく自らの主体性が染み出てくるような感じを聞かせていただきました。
 そして中継ぎは尾瀬さん。尾瀬さんも20年以上に渡り、このような世界(こんな言い方がよくないですね、きっと)で活動されてきた、私もとっても尊敬している方なんですが、その馴れ初めから活動を続ける中での自らの変遷と今回の医療的ケアの法制化に関して、というよりも、そのことから、その真っ只中(「特定の者」研修「地域生活等に関する講義」を担当されている実際から)に関わる立場として、大切なことをお話ししてくださったと思います(すいません、しっかりと内容を把握できてなくて…)。
 名里さんと尾瀬さんに共通する「傍らにいたいと思っている者」という主体性というか自分観。そのあたりの感覚?感性?が単に「支援者」という言葉では表現できないような、「包み込む」だとか「護る」とかではない、まさに湧き出て染み入るように進んでいく傍らに在る主体というかを感じとれたことにとても喜びを感じた次第で、それがご本人さんの主体と合い交わって、例えば1部で北野誠一さんが仰っていたいたような「ぐちゃぐちゃな(権利や人権などと言っている者も自らの弟を殴ってしまいそうになる…のような)」混じりを生じ、それがうにゅうにゅぐにゅぐにゅと足元(地面)を蠢き(うごめき・ひしめき)、まさに白い革命がじわじわと迫って来るのではないか?と思ったのでした。
 そしてクローザーは篠原さん。クローザーらしい本質を自らの体験と尾瀬さんに続いての医療的ケアの法制化による「おかしなところ」をご指摘くださいました(詳しい内容についてはすいません、まったくメモも取っておらずでして、正確に記せませんで…)。そして現在進行している尊厳死法案についても。「命」「尊厳」「生」とは?ということを篠原さんらしく語っていただけました。
 第2部、特に第3部については詳細なメモも取れておらず、正確な報告が出来ずで申し訳ありません(第1部も全然解り易くないですし…)。
 第3部のお三方については、それぞれのブログ等※6)で、それぞれのお人柄等も感じていただけるのではないかと思います。
 それと、3部ではフロアから、遷延性意識障害者家族の会の桑山さん、「ほのさんのいのちを知って」の著者である西村理佐さんから発言をいただき、印象に残りました西村さんの「ここにきて共通言語を見つけた」という言葉を記しておきたいと思います。
 この言葉についてはコーディメンターの冨田さんの発言にもありましたように「まさに数十年も前の、例えば「朋」だとか「青葉園」の創生期の頃の母親と同じ【苦悩】」であり、そのことはこの10年とも言えない長きに渡り続いている、数としては少ないのでしょうが、とてつもなく大きな問題であると認識しなければならないと思います。
 更に、今回、同じ場所に会することが出来なかった・できない方々への思いだとか、それこそ、そういった方々の存在ということも含めた【苦悩】を持ちつつ、それでも何か1点の明るみを得た喜びを共に感じ、悲観的な思いも含めて笑いながらの白旗がどんどんなびいていくこと、白旗を振りつつも笑い続けられるせめてもの繋がり、染み入るように繋がっていく、言うならば「湧き出し染み入り蠢く繋がり」をむにゅむにゅぐにゅぐにゅと這い巡らせれば!、というか張り巡らせるのではないのだろうか!?と思わせていただいた今大会でした。
 北野誠一さんのいう「これからがおもろうなるで」、清水明彦さんが言う「おもろいことがすべて」を持って、みんなが白旗を振り、白い革命を起そうではありませんか!と思った次第です。
 そして、そのことは、「人の命を殺してはいかん」ということで、「人を死なせてはいけない」社会に続くということ。
 そんなことを第2部に登壇いただいたご本人さんをはじめ、今大会及びラーの会に関わるみなさんからいただいた大切なことだと改めて自らの心に刻み込みたいと思います。
 「誰にも在る 存在の価値」をしっかり取り戻し、そして緩やかながら地中から湧き出て染み入り染み込み蠢き混じり合うことが、まさに地表を多い尽くしていくような動き、そんな白い革命を!と。
第2回ラーの会西宮大会、本当にステキな大会でした。全ての方に感謝です。

参加いただいたみなさんのブログです
「ラー」から1日が経ち… : JUNOのひとり言
ほのさんのバラ色在宅生活 : ほのさん長時間お留守番と、ラーの会のことなど その1
とみたの大耳・小耳(改): 「白い革命」
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昨日は西宮に行きました。第2回「ラーの会」|かなこのブログ
ニーマン・ピック病C型(NPC)〜脳が消えてなくなっていく病気

※ 1)大会概要案
※ 2)「おもろいこと」=嬉しい・楽しいことのみではなく「堪忍・勘弁しとって」「やっとられんわ・ええ加減にしいや」みたいなことも含んだ「ぐちゃぐちゃとした関係性」(今回の大会に出た北野誠一先生の言葉より)のことを言います。元は清水明彦さんの語録のひとつ。
※ 3)「けったい」=直訳(?)すると「変・おかしな」という意味に捉えられてしまいそうですが、その「変わり様」「独特性(特異・得意性)・個性的」の「凄さ」を指す訳で、ここいら(どこまでか不明ですが、京阪神間あたり?)では最上級の「褒め言葉」でもあります。
※ 4)ゆきえにしネット 優しき挑戦者(国内編)(64)ゆき@尼崎・伊丹・西宮、人口呼吸器をつけていても町の中で
※ 5)「悶々とした思い」は→ http://www.kangaeyo-kai.net/chiiki/chi120326_1.pdf
※ 6)名里理事長のページ
   尾瀬さんのブログ
   篠原さんのブログ

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